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更新日付:2018年8月27日 / ページ番号:C009075

岩槻藩遷喬館

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遷喬館 外観

 
「岩槻藩遷喬館」は、寛政11年(1799年)に、岩槻藩に仕えていた儒者・児玉南柯(こだま なんか)が開いた私塾です。後に藩校となり、岩槻藩の武士の子弟が勉学や武芸の稽古に励みました。
 明治4年(1871年)に藩校が廃止になった後は、おおむね民家として使用されていましたが、昭和14年(1939年)に埼玉県の史跡に指定されました。平成15年(2003年)から同18年(2006年)にかけて解体修理・復原工事を行い、公開しています。埼玉県内では唯一現存する藩校の建物です。

お知らせ

ご利用のご案内

開館時間
9時から16時30分まで

入館料
無料

休館日
月曜日(休日を除く)
休日の翌日
年末年始(12月28日から1月4日)
その他特別整理期間・臨時休館日

岩槻藩遷喬館ご案内

案内図  


交通
東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩10分
※駐車場はありません。
所在地
さいたま市岩槻区本町4-8-9
電話番号
048-757-5110
ファックス
048-757-5110

岩槻遷喬館
   岩槻藩遷喬館パンフレット
(画像をクリックするとファイルが開きます)

自画像

「遷喬館」(せんきょうかん)の名前の由来

 詩経(中国最古の詩集)の「出自幽谷 遷于喬木」に由来しています。
 学問を欲し友を求めることを、鳥が明るい場所を求めて暗い谷から高い木に飛び移ることにたとえた内容で、学ぶ者に高い志を持つことを促しています。

児玉南柯(こだまなんか)とは

 江戸時代の後半、延享3年(1746年)に甲府の豊島家で生まれ、11歳で岩槻藩士の児玉親繁(ちかしげ)の養子になりました。
 16歳のとき藩主大岡忠喜(ただよし)に仕えました。
 23歳で江戸の藩邸に勤務し、以後様々な要職を歴任し、34歳の安永9年(1780年)南京船漂着事件の処理で名声を上げました。
 43歳のときに職を辞し、53歳の寛政11年(1799年)に私塾・遷喬館を開設し、岩槻藩の子弟教育に情熱を注ぎました。

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電話番号:048-644-2322 ファックス:048-644-2313

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