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更新日付:2016年4月27日 / ページ番号:C009075

岩槻藩遷喬館

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遷喬館 外観

 「岩槻藩遷喬館」は、寛政11年(1799年)に、岩槻藩の儒学者である児玉南柯という先生が開いた学校です。後に正式な藩校となり、岩槻藩の武士の子弟が勉学や武芸の稽古に励みました。
 明治時代以降は民家として使われていましたが、平成17年から18年にかけて江戸時代の姿に復原し、公開しています。埼玉県内では唯一現存する藩校の建物です。

お知らせ

ご利用のご案内

開館時間
9時から16時30分まで

入館料
無料

休館日
月曜日(休日を除く)
休日の翌日
年末年始(12月28日から1月4日)
その他特別整理期間・臨時休館日

遷喬館ご案内

案内図

交通
東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩7分
(補足)駐車場はありません。
住所
さいたま市岩槻区本町4-8-9
電話番号
048-757-5110

自画像

「遷喬館」(せんきょうかん)の名前の由来

 詩経(中国最古の詩集)の「出自幽谷 遷于喬木」に由来しています。
 学問を欲し友を求めることを、鳥が明るい場所を求めて暗い谷から高い木に飛び移ることにたとえた内容で、学ぶ者に高い志を持つことを促しています。

児玉南柯(こだまなんか)とは

 江戸時代の後半、延享3年(1746年)に甲府の豊島家で生まれ、11歳で岩槻藩士の児玉親繁(ちかしげ)の養子になりました。
 16歳のとき藩主大岡忠喜(ただよし)に仕えました。
 23歳で江戸の藩邸に勤務し、以後様々な要職を歴任し、34歳の安永9年(1780年)南京船漂着事件の処理で名声を挙げました。
 43歳のときに職を辞し、53歳の寛政11年(1799年)に家塾遷喬館を開設し、岩槻藩の子弟教育に情熱を注ぎました。

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教育委員会事務局/生涯学習部/博物館 
電話番号:048-644-2322 ファックス:048-644-2313

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