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更新日付:2014年6月12日 / ページ番号:C019438

南鴻沼遺跡の発掘調査成果について

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南鴻沼遺跡(みなみこうぬまいせき)の発掘調査について

平成23年10月から平成25年3月にかけて、発掘調査が行われた中央区大戸の「南鴻沼(みなみこうぬま)遺跡」は、縄文時代の水辺の利用跡や丸木舟をはじめ、数々の漆製品の出土などが注目されてきました。

現在、調査報告書刊行に向けて整理作業を進めていますが、今回新たに、「漆掻きの掻き傷」が残された縄文時代中期のウルシの木を確認しました。掻き傷は樹液の採取の際に付けられたものですが、この痕跡が確認できるウルシの木としては、わが国最古の例となります。

ウルシの木は、長さ113cm、長径3.5cm、短径2.5cm程で、表面には、10cmから15cm間隔で、合計9本の掻き傷がはっきりと残り、掻き傷のようすから、現代の樹液採取法にも通ずる方法が想定されます。ウルシの木の年代を明らかにするために行った放射性炭素による年代測定の結果、今から約4903~4707年前という数値が出ました。この数値は、ウルシ材が縄文時代中期後半のものであることを示しています。

掻き傷が残された縄文時代のウルシの木は、東村山市の下宅部(しもやけべ)遺跡から出土した縄文時代後期のものがありますが、南鴻沼遺跡から出土した今回のウルシの木は、年代的におよそ500年も一気に遡る事になります。

今回の掻き傷のあるウルシの木の確認は、出土品など発掘時の成果と併せ、縄文時代中期後半におけるウルシの木の栽培・樹液の採取、製品化に至る一連のウルシ利用を一つの遺跡で明らかにできる、極めて貴重な成果となりました。

つきましては今回新たに日本最古と判明した「採取痕が残るウルシの木(縄文時代中期)」を始め、保存処理、接合が完了した「飾り弓」、「櫛」「木製容器」などを、下記の内容でいち早く地域の皆さんをはじめ、市民の皆さんに一般公開を下記日程にて行い、多くの皆様にご見学いただきました。

1 展示期間 平成26年5月10日(土曜日)~5月18日(日曜日)

2 展示会場 与野文化財資料室

3 展示物 1.『採取痕のあるウルシの木』

2.『櫛』2点

3.『飾り弓』1点

4.『木製容器』6点 

展示資料(一部)

確認されたウルシ材(矢印部分に掻き傷)ウルシ材 

掻き傷部分の拡大

               ウルシ材拡大

        

飾り弓(部分) 櫛

弓  櫛

展示の様子

様子 

また南鴻沼遺跡の発掘調査では、縄文時代の丸木舟が発見されました。
丸木舟は、平成24年8月、西側調査区の中央北寄りで上を向いた状態で出土しました。出土した地層や、舟内からの出土した土器の年代などから、縄文時代後期のものと考えられます。
南鴻沼遺跡では、道路の建設に先立ち、平成23年度から24年度にかけて発掘調査が行われています。丸木舟のほかの調査成果としては、縄文時代中期末から後期にかけての水場遺構が検出されているほか、櫂(オール)や木製容器の未成品、漆の入った土器などが出土しており、木や漆の加工場所の存在をうかがわせます。そのほか編組製品や漆塗りの櫛状製品なども出土しています。

縄文時代の丸木舟

丸木舟の出土地点
印:丸木舟の出土位置

この丸木舟は、丸木材を刳り貫いて作られています。大きさは、長さ約3メートル50センチメートル、最大幅約50センチメートル、船縁から船床までの深さ約20センチメートルで、船縁部の断面はゆるくカーブし、内側に向いています。また舟の端部は、胴部に比べて幅が狭く作られています。
丸木舟の発見は、縄文時代後期の造船技術や舟の形態を知るばかりでなく、当時のムラの周辺に、舟の材料となるような太い木が生育する森が存在したことを示すとともに、当時の人々が丸木舟を使用して河川を移動、利用していたことを想像させてくれます。水場遺構との関連性も含め、縄文時代の人々の、「「森」や「水」と深くかかわる生活」を明らかにしていく上でも、大変貴重な発見となりました。

(平成26年6月2日更新)

 

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