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更新日付:2013年12月24日 / ページ番号:C003925

桜区の歴史・沿革

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桜区の歴史・沿革

桜区はさいたま市内南西部に位置し、大久保地区と土合地区の一部からなっています。

ガスタンク(昭和44年撮影)

大久保地区の由来は、明治二十二年、上大久保村、下大久保村、五関村、植田谷領領家村、植田谷領在家村、塚本村、宿村、神田村、白鍬村の九か村が合併して大久保村をつくったもので、新村名は上大久保村と下大久保村が九か村の中で大きな村なので、「上」・「下」の文字を取って「大久保」としたということです。

羽根倉橋(昭和30年代)

また土合地区の由来は、やはり明治二十二年、南元宿村、田島村、鹿手袋村、西堀村、関村、与野領町谷村、新開村、栄和村、道場村、中島村、山久保村の十一か村が合併し、十と一か村が合わさったことから村名を「土合村」とつけたとのことです。

その後この二村は昭和三十年一月に浦和市に合併し、その後平成十三年五月にさいたま市に合併しました。そして、平成十五年四月、さいたま市は全国十三番目の政令指定都市となり区政が布かれ大久保地区と土合地区を基盤とした「桜区」が誕生しました。

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桜区役所/区民生活部/総務課 
電話番号:048-856-6123 ファックス:048-856-6270

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