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更新日付:2014年1月31日 / ページ番号:C003768

浦和区のあゆみ

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 江戸時代に中山道は江戸と京都を結ぶ重要な道路として整備されました。
 浦和は日本橋から三番目の宿駅で、本陣や問屋がおかれ、宿場町として繁栄しました。明治4年(1871年)に埼玉県が成立し、宿場町として栄えていた浦和宿は、県庁所在地となり、明治22年に浦和町となりました。行政・教育・文化の上でも県中心地となりました。
 大正12年(1923年)の関東大震災後は、地震の災害が少なかったこと、首都圏から20キロメートルの至便性などから、住宅地としての評価が高まり、多くの文化人が移り住み、特に「鎌倉文士と浦和画家」といわれ、多くの芸術家が活躍しました。昭和9年(1934年)には市制が施行され、戦後は住宅都市・文教都市として発展を遂げてきました。
 平成13年(2001年)5月にさいたま市が誕生し、平成15年(2003年)4月にさいたま市が政令指定都市へ移行し、浦和区が誕生しました。

浦和宿二七市場跡
浦和宿二七市場跡
浦和宿本陣跡
浦和宿本陣跡

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電話番号:048-829-6037 ファックス:048-829-6232

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