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更新日付:2016年9月9日 / ページ番号:C009119

浦和博物館 周辺の案内

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見沼代用水路・見沼たんぼ・見沼通船堀

見沼代用水路

享保13年(1728年)井澤弥惣兵衛為永が、徳川吉宗の命で、見沼溜井を新田開発するために利根川右岸の下中条(現行田市)から取水した水を約60キロメートルにわたって引水し、新田の用水としました。この用水は見沼溜井に代わる用水として見沼代用水路と呼び、さらに市内に入る直前に東西2本の水路に分かれてからは、見沼代用水路東縁・見沼代用水路西縁と呼んでいます。

見沼代用水西縁(緑区 さいたま市立病院付近)

見沼田んぼ

見沼溜井の新田開発によって、新たに1,200ヘクタールの水田が誕生しました。この見沼の水田を見沼田んぼと呼んでいます。近年、田んぼは、とても少なくなってきましたが、畑(野菜・植木)や公園など緑の多く残る場所として知られ、散策する人が増えています。

見沼通船堀

享保16年(1731年)、見沼代用水路沿いの村々と江戸を水路で結ぶため、井澤弥惣兵衛為永によって造られた日本有数の古さを誇る閘門(こうもん)式運河です。東西の見沼代用水路と中央に流れる芝川の高低差3メートルを、東西各々2箇所の関(閘門)で水位を調節して船を通す方法をとりました。以後、鉄道が輸送の主力となる明治半ば過ぎまで盛んに使われ、昭和6年(1931年)廃止されました。
見沼通船堀は江戸時代中期の土木技術や産業、交通を知るうえで貴重な史跡として、昭和57年(1982年)に国指定史跡となりました。

浦和博物館から
見沼代用水・見沼田んぼへは、徒歩3分
見沼通船堀へは、車で約15分

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教育委員会事務局/生涯学習部/博物館/浦和博物館 
電話番号:048-874-3960 ファックス:048-874-3960

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