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更新日付:2021年4月28日 / ページ番号:C009119

浦和博物館 周辺の案内

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浦和博物館 周辺の案内

見沼代用水路(浦和博物館から徒歩3分)

享保13年(1728)井澤弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)が、徳川吉宗の命で、見沼溜井等を新田開発するために利根川右岸の下中条(現行田市)から取水した水を約60キロメートルにわたって引水し、新田の用水としました。
いわゆる享保の改革の一事業で、見沼田んぼをはじめ周辺の新田開発に役立ちました。
この用水は見沼溜井に代わる用水として見沼代用水路と呼び、さらに市内に入る直前(現上尾市瓦葺)で東西2本の水路に分かれてからは、見沼代用水路東縁・見沼代用水路西縁と呼んでいます。
その優れた歴史的価値から、令和元年(2019)9月に国際かんがい排水委員会(ICID)により「世界かんがい施設遺産」に登録されました。

また、見沼代用水沿いには、従来から各種団体や市民有志による桜の植樹が行われ、見事に咲き誇る桜回廊が. 約18.2kmもありました。
さいたま市ではその運動を継承し、さらに植樹を進める事業を平成25年度から始め、平成29年3月には、見沼代用水沿いに連なる「見沼田んぼの桜回廊」は、総延長20kmを超え、桜の下を散策できる日本一の桜回廊になりました。

見沼代用水西縁(緑区 さいたま市立病院付近)


見沼田んぼ(浦和博物館から徒歩3分)

見沼溜井の新田開発によって、新たに1,200ヘクタールの水田が誕生しました。
この見沼の水田を見沼田んぼと呼んでいます。
近年、田んぼは、とても少なくなってきましたが、都市近郊に畑(野菜・植木)や公園など緑が多く残り、周辺には歴史・文化の見どころも多い貴重な場所として知られ、自然観察や散策する人々が増えています。

見沼通船堀(国指定史跡)(浦和博物館から車で15分)

享保16年(1731)、見沼代用水路沿いの村々と江戸を水路で結ぶため、井澤弥惣兵衛為永によって造られた日本有数の古さを誇る閘門(こうもん)式運河です。
東西の見沼代用水路と見沼田んぼの中央に流れる芝川の高低差約3メートルを、東西各々2箇所の関(閘門)で水位を調節して船を通す方法をとりました。
以後、鉄道が輸送の主力となる明治半ば過ぎまで盛んに使われ、昭和6年(1931年)廃止されました。
見沼通船堀は江戸時代中期の土木技術や産業、交通を知るうえで貴重な史跡として、昭和57年(1982年)に国指定史跡となりました。

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電話番号:048-874-3960 ファックス:048-874-3960

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