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更新日付:2020年11月26日 / ページ番号:C075901

岩槻郷土資料館展示web解説(その4)

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岩槻郷土資料館展示解説(児玉南柯関連資料)

 「岩槻に過ぎたるものが二つある、児玉南柯と時の鐘」といわれるように「児玉南柯」は、岩槻を代表する人物です。
 児玉南柯は、岩槻藩の優れた儒学者で、本町4丁目にある「遷喬館」の創設者です。「遷喬館」は、寛政11年(1799)、南柯の私塾として創設され、後に岩槻藩の藩校となり、藩士子弟の教育の場となりました。
 資料館には児玉南柯や遷喬館に関わる資料が多く所蔵されています。このうち、「遷喬館会約」(レプリカ)、「勤学書院」の扁額、「遷喬館扁額」、「児玉南柯自画像」(レプリカ)、児玉南柯の著作の一部、児玉南柯遺品(さいたま市指定文化財)の一部などを常設で展示しています。
 「遷喬館会約」は、遷喬館での教育の目標や勉学の心得とされたもので、創設時に児玉南柯が作ったものです。「勤学書院」の扁額は藩校となり勤学所と名称が改められた際、児玉南柯が揮毫したものです。これは、南柯がなくなる前年の文政11年に書かれたことがわかります。「遷喬館」の扁額は遷喬館が設立された際、加納久慎(ひさちか)が自ら筆を執ったものです。久慎の父久周は岩槻藩2代藩主大岡忠喜の弟で加納家に養子に入っています。久慎は父と共に遷喬館や児玉南柯を援助しました。「児玉南柯自画像」は、南柯82歳の自画像と伝わり、琴の前に座る姿を描き、上部に歌が記されています。
 この他常設展示はしていませんが、「菅神画像」は「享和四甲子年二月二十五日 遠江守藤原久周書寫」とあり、加納久周(ひさのり)によって享和4年(1804)に描かれたものです。これは、享和元年(1801)、伏見奉行に就任した久周の招きで南柯が京都・奈良・大阪方面を遊行した際、伏見で南柯が「学館の鎮守の神」を祀りたいことを久周に伝え、久周がこれに賛同し筆を執ることになりました。賛は道真の後裔である高辻家に歌人であった芝山持豊を通じ、道真の神詠から選定を依頼し、久周の筆で添えられたものです。加納久周は幼少の頃、南柯が素読の師となりました。加納家の養子に入った後にも、南柯の学徳を慕い、主従の関係を越え、永く交流がもたれました。
 また、南柯が処理に携わった岩槻藩領の安房国南朝夷村千倉(現在の千葉県南房総市)に漂流した清国船「元順号」の船主であった「沈敬瞻」の漢詩の詩軸は二点あり、七言絶句の漢詩が書かれ、いずれも「庚子歳仲夏上浣」と記されています。このことから安永九年(一七七九)五月の上旬、すなわち「沈敬瞻」が南柯らによって救出され、間もなく千倉の地で書かれたものと考えられています。

児玉
児玉南柯自画像

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