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更新日付:2023年6月27日 / ページ番号:C097483

市立博物館収蔵品展「近代人の休日 -余暇と娯楽の明治・大正・昭和-」 展示Web解説(その2)

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市立博物館収蔵品展「近代人の休日 -余暇と娯楽の明治・大正・昭和-」 展示Web解説(その2)

令和5年3月4日から6月11日まで開催した収蔵品展「近代人の休日 -余暇と娯楽の明治・大正・昭和-」の展示内容の一部をご紹介します。この展示では、様々な「余暇」と「娯楽」のうち、近代の「音楽」「演劇・映画」「行楽・旅行」「スポーツ・イベント」の4つのテーマについて、当館の収蔵資料をもとに、人々が余暇をどのように過ごしてきたのかを紹介しました。
>「その1」(序章・第1章・第2章)はこちらです

第3章 行楽・旅行

東京近県名所案内図
展示資料:「東京近縣名所案内圖」 昭和5年(1930)ごろ

普段の暮らしを離れて、いろいろな物や景色を見に訪れる行楽や旅行は、我が国では江戸時代から庶民の間にも広まってきました。明治2年(1869)に関所が廃止され、その後の鉄道や汽船などの交通機関の発達によって、より遠方へ旅行する人々が増えていきました。国は、国民意識の醸成のため、天皇ゆかりの地を整備して参拝を促したり、国民の体格向上のため、海水浴や登山を奨励したりするなどの政策を進めました。地方でも、観光客による収入の増加を期待し、各地の観光地の整備に努めました。こうした動きは第二次世界大戦によって途絶えましたが、戦後は再び観光地の整備が盛んになり、経済の復興とともに旅行者も増えていきました。

大宮公園案内パンフレット パンフレット「僕らの大宮公園」文面
展示資料:パンフレット「僕らの大宮公園」 昭和30~35年(1955~1960)ごろ

氷川神社北側の境内地は、明治時代に公有地となり、埼玉県によって整備され、明治18年(1885)に「氷川公園」として開園しました。東京から遠すぎず近すぎず、山あり池ありの風光明媚な公園として、多くの人々が訪れました。東京の近郊には、このほかにも古刹や庭園、海水浴場など、行楽地として人気を集めた様々な名所があり、その多くは現在でも親しまれています。

桜草自生地ゆきバスちらし
展示資料:浦和自動車会社ちらし(桜草) 昭和初期
西堀村(現桜区田島)にあったサクラソウの自生地は、大正9年(1920)に国指定天然記念物となりました。
浦和と志木とを結ぶ幹線道路沿いであるため、戦前からバスの便があり、春には行楽地として賑わったようです。

野田いちご園ちらし
展示資料:ちらし「野田いちご園」 昭和11年(1936)

笠間稲荷記念写真 写真裏面の記入
展示資料:団体旅行記念写真 大正8年(1919)4月11日
笠間稲荷神社(現茨城県笠間市)の門前での記念写真です。
47人の団体で笠間と筑波山を訪れ、その後は土浦から霞ケ浦を周遊したと裏面に書き込まれています。

近代の交通機関や宿泊施設の発達によって、旅行の様子も様変わりしてきました。遠方の切符の手配や宿の予約が難しかったころには、旅行会社などが主催する団体旅行に参加するのが手軽で一般的でした。電話の普及、国鉄の乗車券予約システムのオンライン化(マルスシステム)、旅行情報雑誌の隆盛、旅行代理店の個人向けサービスの充実などによって、個人での旅行の手配が容易になってきた昭和45年(1970)ごろからは、大阪万博や国鉄のキャンペーン「ディスカバージャパン」などを契機に旅行ブームが起こり、個人や小グループでの旅行が普及しました。

観光絵馬
展示資料:観光絵馬 昭和40~50年代
絵馬は、願い事などを書いて神社仏閣に納めるものですが、お土産や縁起物として持ち帰られることもありました。
現在では、信仰を離れ、観光土産としてつくられる絵馬も多くみられます。

第4章 スポーツ・イベント

安政3年(1856)、列強各国との通商条約締結により開国を果たした我が国は、海外の博覧会などに出展を行うとともに、内外の技術や文化を紹介する博覧会などを国内でも開催し、観客を集めるようになりました。官庁や、事業者が組織した産業団体などは、産業の振興などを目的に、大小様々な規模の博覧会や見本市などを支援、開催しています。また、演劇などの興行のほか、様々なスポーツの巡業などにも、規模を拡大してより多くの人を集めるものも生まれました。

特別大相撲ちらし特別大相撲抽選券
展示資料:ちらし「特別大相撲」・「招待抽選券」 昭和11年(1936)

我が国における伝統的な「観戦するスポーツ」の代表は「相撲」でしょう。元々は寺や神社への奉納から始まったとされますが、江戸時代には娯楽としての性格が強くなり、各地で興行が行われるようになりました。明治時代以降は「国技」とされ、現在に至るまで人気を博しています。

野球関係新聞記事スクラップ
展示資料:六大学野球・日米野球 野球新聞記事スクラップ 昭和9年(1934)ごろ

明治時代になると、野球やサッカーなど、海外から各種のスポーツが導入され、学校教育などを通じて普及しました。特に野球は全国に浸透し、大正14年(1925)年に始まった東京六大学リーグ戦(通称「六大学野球」) 、昭和2年(1927)に始まった都市対抗野球などが様々なメディアで報道されるようになりました。昭和6年(1931)と昭和9年(1934)には、アメリカのメジャーリーグ選抜選手を招待し、日本の選抜チームとの試合が全国各地で行なわれました。昭和9年(1934)には「本塁打王」ベーブ・ルースも参加し、大宮公園野球場でも試合が行われました。昭和11年(1936)には、職業野球(プロ野球)が発足しました。

日章旗とオリンピック旗
展示資料:東京オリンピック関連資料 日章旗・オリンピック旗 昭和39年(1964)

近代のオリンピックは、明治29年(1896)にアテネで初めて開催されました。明治45年(1912)にストックホルムで開催された第5回大会には、我が国からも初めて選手が出場しました。昭和15年(1940)の大会は東京での開催が決まっていましたが、日中戦争の激化により、開催を返上することになり、同大会とと昭和19年(1944)のオリンピックは中止されました。その後は昭和27年(1952)にヘルシンキで開催された第15回大会から出場し、昭和39年(1964)には東京での開催が実現しました。

第二回内国勧業博覧会案内図 第二回内国勧業博覧会褒状
展示資料:第2回内国勧業博覧会案内図・褒状(写) 明治14年(1881)

国際的な博覧会は、嘉永4年(1851)にロンドンで初めて開かれました。我が国は、慶應3年(1867)のパリ万国博覧会に初めて出展しています。その後、国内でも、政府が明治10年(1877)に、東京の上野公園で「内国勧業博覧会」を初めて開催し、全国各地から鉱産物や農産物、工業製品や美術品を集めて展示するとともに、優秀品を表彰しました。 このほかにも、こうした産業振興を目的とした各種の博覧会が各地で開催されるようになりました。

大阪万博関係資料
展示資料:「日本万国博覧会」関連資料 昭和45年(1970)

昭和45年(1970)3月15日から9月13日まで、大阪府吹田市の千里丘陵で 「日本万国博覧会」が開催されました。77の国のほか、国際機関や各国の州、大都市も参加し、「人類の進歩と調和」というテーマの下に、様々な展示やイベントが行われました。 この博覧会は、延べ約6422万人という、同一イベントとしては現在に至るまで超えられていない国内最多の観客、来場者を集め、戦後復興と高度経済成長の象徴として記憶されています。会場中央のモニュメント「太陽の塔」は、今も大阪のシンボルとして親しまれています。

終章 その後の余暇・娯楽

今回の展示では、明治・大正・昭和の資料を通じて、余暇や娯楽の様子を紹介してきました。これらの中には、現在でも変わらずに楽しまれているものがある一方で、今ではその様相が大きく変わったものもあります。

ファミコン
展示資料:ファミリーコンピュータ 昭和58年(1983)発売

デジタル技術の進歩とともに、娯楽にも最新の技術が導入されてきます。コンパクトディスク(CD)の発売(昭和57年(1982))、「ファミリーコンピュータ」の発売(昭和58年(1983))など、より高品質で多様な娯楽が楽しめるようになりました。2000年代にはインターネットが普及し、それまで様々な媒体によって流通していた情報や番組などを、端末一つで楽しめるようになりました。2010年代から普及したスマートフォンの所有率は、現在89.4%(総務省「情報通信白書」令和3年版)に達しています。

海外旅行パンフレット
展示資料:海外旅行パンフレット(ローマ) 平成6年(1994)

昭和60年(1985)以降、円高が進んだことにより、海外への渡航費や滞在費が次第に割安になり、また好景気の影響もあって海外旅行が身近なものになってきました。円相場は、その後平成23年(2011)に、戦後最高値となる1ドル=75円32銭まで円高が進みました。日本人出国者の数は、平成12年(2000)に約1,782万人、令和元年(2019)には約2,009万人(国土交通省「観光白書」)に増加しています。

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今回の収蔵品展では、展示図録は作成しておりません。一部の資料については、これまでに刊行した他の展示の図録に掲載されておりますので、どうぞご利用下さい。

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