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岩槻藩遷喬館・鴻沼資料館・旧高野家離座敷

鴻沼資料館(こうぬましりょうかん)について

「岩槻藩遷喬館」は、寛政11年(1799年)に、岩槻藩の儒学者である児玉南柯が開いた学校です。後に正式な藩校となり、岩槻藩の武士の子弟が勉学や武芸の稽古に励みました。

鴻沼(こうぬま)資料館の成り立ち鴻沼一帯は低湿地だったため、上流から流入する水や、台風などの出水等で、たびたび稲作に大きな障害が与えられていました。

所在地:さいたま市緑区大間木3-30-11 概要:この建物は、赤山街道と呼ばれる道筋に面した旧高野家の敷地内にあったもので、江戸時代末期の蘭方医・高野隆仙が主屋の離れとして建てたものです。

「岩槻藩遷喬館(いわつきはんせんきょうかん)」は、今からおよそ200年前の江戸時代に、児玉南柯(こだまなんか)という先生が開いた学校です。

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