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更新日付:2020年6月28日 / ページ番号:C073658

与野郷土資料館展示web解説(その7)

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与野の人々、大山へ行く

大山は神奈川県伊勢原市・秦野市・厚木市の市境にある標高1252mの山で、中腹に大山寺と阿夫利神社下社、山頂に阿夫利神社上社があります。大山祇神を祀る大山は「石尊大権現」とも称し、古くから山岳信仰の対象でした。明治時代以前は修験道の山として知られ、修験者は大山御師として布教活動を行いながら、宿坊を経営していました。

大山全景 
(大山全景、伊勢原市観光協会提供)

大山は別名「雨降(あふり)山」と称し、雨乞いの神として農民の信仰を集めました。江戸時代の中ごろ以降、御師たちの布教活動によって各地に大山講が組織され、庶民は盛んに大山詣を行いました。その結果、各地から大山に通じる大山道が整備され、東京と大山を結ぶ道(現、国道246号線)は、場所により青山通り、大山街道と呼ばれて今でも残っています。道案内のための道標なども設置され、夏山の時期には「大山灯籠」が沿道の人たちの手で設けられています。

  大山灯籠  灯籠(与野)
(大山灯籠、指扇地区にて)   (大山灯籠、与野地区にて、夏の夜には明かりが灯された)

大山詣での際には、長さ3~4mもある巨大な木太刀とともに、神酒枠と呼ばれる二基の宮殿を天秤棒のように肩で担いで参詣していました。

大山太刀
(南区白幡・睦神社に伝わった大山太刀。長さ約3.3mで、安永5年(1776)の銘がある)

東海道五十三次細見図会 大山講装束
(東海道五十三次細見図会・程ケ谷)       (大山講の装束)
(国立国会図書館デジタルコレクションから)(若狭蔵之助編『明治大正昭和埼玉県写真帳』から)

与野にも、大山詣に関する資料が多く残っています。「武州与野町講中神酒枠」は高さ64.5cmの妻入りの宮殿で、内部には高さ24.5cmの2点の錫製の瓶子が収められるようになっています。作られた年代は明らかではありませんが、19世紀に作られたものと考えられます。講の代参(全員ではなくて、数人が代表して参詣すること)として大山を詣でた講員は、この神酒枠に神酒を受けて帰り、新たな酒を継ぎ足して講中全員がこれをいただいたといわれています。
神酒枠
(与野町講中神酒枠)

大山詣のための道標は、中央区では現在までに二基確認されています。一つは本町東の相川屋前の寛政8年(1796)正月の道標で、正面には「右秋葉大」「左石尊大」と彫られています。この道標は現在では南面していますが、彫られた文字からするとここに移設されたものと考えられます。また、上峰・庚申塚の道端には「右大山ミち」と彫られる寛政12年の地蔵菩薩像が祀られています。
大山道しるべ   行衣
(本町東の道標、「左石尊大権現」と読める)(与野・貯楽講の行衣。講の人たちは揃いの行衣を身にまとった)

与野からは、羽根倉や志木、府中を通って大山に詣で、帰路は江の島や藤沢などに立ち寄るのが一般的でした。
東海道五十三次・藤沢図
(東海道五十三次之内・藤沢図。江島神社一の鳥居とともに、大山太刀を担いでいる人が描かれている)
(国立国会図書館デジタルコレクションから)

与野郷土資料館では「与野町講中神酒枠」を展示しているほか、『与野郷土資料館開館記念図録』で大山講について触れられています。

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