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更新日付:2021年3月26日 / ページ番号:C073592

与野郷土資料館展示web解説(その3)

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与野に暮らした石工たち

石造物を加工したり、字を彫ったりするのを生業とするのが石工です。古い時代の与野の石工としては、高内源太郎(享保4年、赤山橋供養塔)や高内半介(享保18年、指扇薬師堂)という高内姓の石工が知られます。18世紀の後半からは「藤助」「小村田丸山庄吉」といった石工に交じって、佐藤平左衛門-太平治(光重)-太(多)四郎と続く佐藤家の作例が圧倒的になります。佐藤家は与野上町の一山神社近くに住む近世の与野石工を代表する家系です。

大宮氷川神社 大久保領家・大泉院
(大宮氷川神社、灯籠) (大久保領家・大泉院、手水鉢)

与野で見られる佐藤家の作例は、天明元年(1781)の鈴谷・妙行寺の題目供養塔に「与野上町石工佐藤平左エ門」とあるのが古いものですが(これより古い宝暦6年(1756)の石橋供養塔(下落合・与野東中前)には「石工与野町山田平左エ門」とあり、姓は違いますが同一人かもしれません)、平左エ門という名前はさらに古い寛延2年(1749)の桜区大久保領家・大泉院にある地蔵石仏に「与野町石工平左エ門」と見えます。

佐藤家の作例は与野にとどまらず、大宮氷川神社参道の灯籠や浦和の地でも多く見られますが、幕末以降では、宮前・氷川神社(西区)の灯籠(慶応3年)に「石工与野町井原右門光泰」、与野八王子・浅間神社の石祠や与野町などの人が奉納した上木崎・足立神社の灯籠に「井原赤太郎」という井原姓の石工が見られるようになっていきます。明治時代の「与野町営業便覧」によれば、「石工 井原赤太郎」は上町の本町通り西側に店を構えていたようです。

浅間神社
(上木崎・足立神社、灯籠)

与野石工については、「与野郷土資料館開館記念図録」で触れられています。


その2 赤山橋の石橋供養塔-通行の安全を願って-


その4 「融通念仏縁起絵巻」に見る女性の坐り方

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