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更新日付:2021年3月26日 / ページ番号:C073656

与野郷土資料館展示web解説(その5)

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与野に関わる二種類の大般若経

大般若経は正式には大般若波羅蜜多経という名称で、全六百巻からなる経典です。有名な「般若心経」とは違うもので、7世紀に玄奘三蔵がインドから中国へ大般若経のもとになる経典を持ち帰り、漢訳したものといわれています。

与野に関わる大般若経としては、日光輪王寺所蔵の応永3年(1396)10月18日付けの大般若経と、南北朝時代以降数度にわたって書写された氷川女體神社(さいたま市緑区宮本)所蔵の大般若経の二種類あります。

前者は一日頓写経と呼ばれるもので、同日に一斉に関東各地の寺社や談所で書写され、日光山に奉納されたものです。この巻150の末尾に「於足立郡与野郷鈴谷光明寺中通房」、巻178の末尾に「於武州足立郡与野郷慈観寺牛尅書畢」と記されており、この2巻が与野郷にあった寺院で書写されたことを示しています。現在の与野(中央区)には同名の寺院はありませんが、その遺跡と考えられる寺堂も存在しており、当時それらの寺院は有力な寺院だった可能性があります。同日に一斉に経典が書写されていることから、これらの寺社を結ぶ宗教者のネットワークが存在していたことも考えられます。

一方、与野に直接関係するものではありませんが、氷川女體神社所蔵の大般若経には「亥ノ年正月松山籠城 敵氏康味方太田」、「氏康西上野張陣、越国衆上州細井楯籠 勝敗相半也」、「景虎越山申酉戌三年在関東武相上大乱」、「氏康足立御動篠目放火」、「水判土慈眼房焼失」などと巻末に記されており、与野を含む関東地方を取り巻く戦乱の状況を示しています。これは、この大般若経を「真読」した奝藝という僧が書き入れたもので、奝藝は味方である太田氏のために、通常は行わない大般若経の「真読」を川越・中院などで二回も行っています。

水判土・慈眼房焼失 真読
(左:水判土慈眼房焼失、右:中院真読と見える)

大般若経は転読するのが一般的です。転読とは経文全てを読むのではなく、各巻をバラバラと空中で広げるようにするだけで、読んだのと同じ功徳を得ようとするものです。バラバラと広げた時に起きる風を「般若の梵風」といって、その風を受けるだけで諸々の災難から身を守れるといわれています。一方、「真読」とは500万字ともいわれる経文全部を読むため、時間と労力は「転読」の比ではありません。奝藝にとっては、負担の大きい「真読」を行うほど社会情勢がひっ迫していたのかもしれません。

転読風景
(大般若経転読の様子)

なお、江戸時代には、村を舞台にこの大般若経を使った大般若会が行われていましたが、現在では時間の経過とともに傷みや虫食い等が進行したため、昭和51年度から毎年、裏打ち作業が続けられています。

裏打ち後
(裏打ち修理後の様子、折本仕立て)

与野郷土資料館では、二種類の大般若経(日光輪王寺、氷川女體神社)を展示しています(レプリカ)。


その4 「融通念仏縁起絵巻」に見る女性の坐り方


その6 上町・氷川神社の拝殿に有名書家の額が・・・

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