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更新日付:2021年3月26日 / ページ番号:C073984
中央区本町東の上町・氷川神社拝殿に「正一位氷川大明神」と書かれた額が掲げられています。左側に「関思恭 拝書」とあることから、江戸時代の有名な書家・関思恭の書ということがわかります。関思恭は元禄10年(1697)水戸の生まれ。若くして江戸に出て、当代一の書家と言われた細井広沢の教えを受け、5000人もの門弟を抱えるなど書家として名声をはせた人物です。
(本町東・氷川神社の額「正一位氷川大明神」(関思恭肖像、国立国会図書館デジタルコレクションから)
寺社などの依頼で額を揮毫することも多かったらしく、今でも多くの寺社にその書を見ることができます。市内では、他には宮本・氷川女體神社拝殿に掲げられた額があります。これは、金文字で「武蔵国一宮」と大書され、左側に「東都鳳岡関思恭拝書」と記されています。
(緑区宮本・氷川女體神社の額「武蔵国一宮」)
他県では群馬県太田市の冠稲荷神社拝殿の「稲荷大明神」額、茨城県かすみがうら市の文殊院山門「豊森山」額、栃木県大子町法龍寺の「如信上人之墓」、東京都新宿区覚園寺の「南無妙法蓮華経」塔、東京都港区亀塚公園の「亀山碑」、三重県松阪市の「忘井之道」碑、東京都台東区浅草の駒形堂「戒殺碑」などが知られ、非常に多くの作品を残しています。おそらく売れっ子の書家だったのでしょう。関思恭は特に草書を得意として「草聖」と呼ばれましたが、残されている書体を見ると、楷書や行書、隷書など何でもあるようです。
(群馬県太田市、冠稲荷神社額「稲荷大明神」)(栃木県大子町、法龍寺「如信上人墓」) (新宿区、覚園寺「南無妙法蓮華経塔」)
(港区亀山公園、「亀山碑」) (松阪市「忘井之道」碑)
関思恭は明和2年(1766)に没し、文京区小石川の称名寺に埋葬されました。立地条件から墓石側面の文字は判読できませんが、『遊暦雑記』によれば、「敬得院 釈則善大居士 明和二乙酉年十二月廿九日」とあるといいます。
(関思恭墓、文京区小石川・称名寺)
関思恭に関しては展示はしていませんが、「与野郷土資料館開館記念図録」で触れられています。
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