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更新日付:2021年3月26日 / ページ番号:C074177

与野郷土資料館展示web解説(その9)

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記憶の中の風景2. 「与野に進出した工場(戦前)」

満州事変以後の重工業の生産力拡充の必要性から、東京近郊の与野には多くの工場が進出してきました。与野はそれまでは田畑が大部分を占める農村地帯でしたが、昭和9年の新国道(現在の国道17号線)の開通が大きな転機をもたらしました。また、埼玉県が積極的に工場誘致に乗り出していることも見逃せません。

国道記念碑
(国道開通を記念して設置された記念碑。今も上落合交差点内にある)

昭和3年にはすでに、ひも製造、レース、化学繊維を扱う松本産業(上落合1丁目、現与野ハウスの地)が進出していましたが、

松本産業 松本産業あと
(松本産業正門) (松本産業の跡地に建てられた与野ハウス)

昭和8年には石綿セメント導管製造の日本エタニットパイプ(上落合5丁目、現淑徳与野高校一帯)、昭和9年には工作機械、歯車の難波鉄工所(現国道17号と八幡通り交差点付近(上落合2丁目、現ノースピア上落合の地)、昭和13年に精密工具製造の三和精機(三輪精機、新中里3丁目、現島忠ホームズ与野店の地)、昭和14年に自動車、航空機一般内燃機用ピストンリングの日本ピストンリング(本町西5丁目、現与野イオンの地)、昭和15年には塩酸ゴム製造会社のライファン工業(下落合3丁目など、現西友与野店、洋服の青山の地)が工場を設立し、昭和18年には航空機用計器製造の田中製作所(田中航空計器)が渡辺組大宮製糸工場(上落合7丁目、現パークシティ大宮の地)を引き継いでいます。

日本ピストンリング 日本ピストンあと
(日本ピストンリング正門) (日本ピストンリングの跡地に建てられたイオン与野店)

ライファン ライファンあと
(ライファン工業) (ライファン工業の跡地に建てられた西友与野店・洋服の青山)
田中計器 田中計器あと
(田中航空計器、昭和47年撮影) (田中計器跡地に建てられたパークシティ大宮、北側から撮影)

これ以外にも灘琺瑯タンク製造、日本信号機、関東糖油、与野米糖共同処理組合、超コンクリー工業や車両製造の金剛製作所(鈴谷7丁目、現コープ野村クローバーシティ与野の地)などが工場を開設しています(「最近三ケ年新設工場調」『新編埼玉県史』資料編22など)。

これらの重工業の工場進出は主に上落合地区であり、明治時代から本町地区にあった製糸業は産業構造が軽工業から重工業に重点が移ったことと相まって、次第に衰退していくことになります。

与野に進出した工場については、与野郷土資料館入口のモニター「与野今昔」で写真を投影しているほか、「与野郷土資料館開館記念図録」でも触れられています。

郷土資料館入口
(入口に設置された「与野今昔」モニター。看板下。ご自由にタッチできます)


その8 記憶の中の風景1.「区役所脇にあったSL」


その10 記憶の中の風景3.「六日町山の家の記憶」

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