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更新日付:2021年3月26日 / ページ番号:C075187

与野郷土資料館展示web解説(その16)

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与野を代表する遺跡・南鴻沼遺跡(その1)「掻き傷のあるウルシの木」

南鴻沼遺跡は、鴻沼川東側の台地上に広がる低地にあります。所在地は中央区大戸で、さいたま市役所南側の市役所通りを市役所から西へ行き、「鯛ヶ窪橋」を渡った先の鴻沼川や埼京線の線路との間の低地部分になります(遺跡の場所は下の「地図情報で」)。
↓さいたま市役所
遺跡遠景
(遺跡遠景(西から、中央奥がさいたま市役所))
南鴻沼遺跡では縄文時代から平安時代の遺物が出土していて、長い年月この周辺で人々が生活していましたが、最もよく利用されたのは縄文時代中期から縄文時代晩期だったようです。

昭和32年にここから人面装飾付土器の把手部分などが発見され、この遺跡の存在が明らかになりました。
この人面装飾付土器の把手部分に付けられた「顔」は非常に写実的で、大きな目が特徴です。
縄文時代の与野に住んでいた人はこのような顔だったのかもしれません。

人面装飾付土器 封筒
(人面装飾付土器の把手部分(縄文時代中期)) (与野郷土資料館の封筒にもこの人面が使われています)

さて、この遺跡の出土品の中で最も注目されるのが、「掻き傷のあるウルシの木」です。
発掘調査で見つかったウルシの木の中に、ウルシを採取するための描き傷のある木がありました(画像はこちら)。
今から約4700年~4900年前の縄文時代中期のもので、これは掻き傷のあるウルシの木としてはこれまで最古とされていた東京都東村山市の下宅部(しもやけべ)遺跡から出土したもの(縄文時代後期)より500年ほどさかのぼる、日本最古の「掻き傷のあるウルシの木」であることがわかりました。
長さは113cm、太さは2.5cm~3.5cmで、表面に9本の筋状の傷が見られます。
この筋こそ、ウルシを掻くために付けられた「筋」です。
肉眼ではほとんどわかりませんが、顕微鏡で拡大した写真なら「筋」がはっきりとわかります(画像はこちら

写真上部中央から左へ、また写真右端中央から左へ、斜めに「傷」が付けられていることがよく分かります。この発見は、すでに縄文時代の中期からこの遺跡でウルシの採取が行われていたことを意味しています。
「傷」は断続的に1周しており、その方法は現代の採取方法とほぼ同じだったのかもしれません。
ウルシ掻き1 ウルシ掻き2
(左:現代のウルシ林、右:ウルシ掻きの様子、いずれも二戸市漆産業課写真提供)
この遺跡からは、ウルシを入れていた容器やウルシの塗られた土器や木製品、石器なども出土しており、ウルシの栽培から生成、そして使用という循環ができていたようです。
ウルシ土器 ウルシ木製品
(左:赤漆の塗られた土器、右:赤漆の塗られた木製品)
ウルシ石鏃
(石鏃に付けられたウルシ跡(左右の黒い筋部分)、接着剤として使用した)
南鴻沼遺跡では、これ以外にも、ウルシの使用例である飾り弓や櫛が出土しています(飾り弓の画像はこちら。櫛の画像はこちら)。

与野郷土資料館では、ここで紹介した人面装飾土器の把手部分、飾り弓、櫛を展示しています。


その15 古代の与野に仏教文化が伝わっていた証拠が沢山!!(その2)


その17 与野を代表する遺跡・南鴻沼遺跡(その2)「丸木舟」

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