ページの先頭です。 メインメニューへ移動 フッターへ移動


ページの本文です。

更新日付:2021年4月19日 / ページ番号:C079136

与野郷土資料館展示web解説(その23)

このページを印刷する

見沼代用水路-取水口から瓦葺での東西分流まで

【見沼代用水とは?】(全体概念図はこちら
江戸時代の中頃、さいたま市東南部の「見沼溜井」を干拓し新田にするために、幕府勘定吟味役格だった井澤弥惣兵衛為永(いざわやそべいためなが)は徳川吉宗の命を受けて、新たに見沼代用水路を開削して現在の行田市下中条の地で取水した利根川の水をさいたま市まで延々と引いています。
この新たな農業用水は、それまで「見沼溜井」の水を農業用水として使用していた人たちにとって、「見沼」に「代」わる「用水」だったために、この用水を「見沼代用水」、用水路を「見沼代用水路」と呼んでいます。

【利根川の水を行田で取水】(添付全体概念図1)
為永の時代の測量技術で、利根川の水を安定的に取り入れられる場所として選定されたのが、ほぼ現在の「利根大堰」のある場所です。
「利根大堰」は現代の構造物で、利根川の水を取水して東京などに導くための堰ですが、江戸時代の為永の時代の測量技術が現在の測量技術で安定的に取水できる場所として選ばれた場所とほぼ一致していることは、その当時の測量技術の高さを物語っているといえます。

利根大堰付近
現在の利根大堰付近の様子
写真上部左から右へ利根川。六角形の部分(利根川の下)が
利根川から取り入れた水の砂を取り除く「沈砂池」
「沈砂池」から下へ3本の用水路(右から「埼玉用水路」(羽生・葛西方面へ)、
「武蔵水路」(東京方面へ)、「見沼代用水路」(さいたま市方面へ))
※実際にはこれに「邑楽用水路」「行田用水路」もある
(独立行政法人水資源機構写真提供)

【星川と合流、以後は星川の流路を利用】(添付全体概念図2)
取水口から約2.5km、行田市小見の地で、見沼代用水路は既存の川である星川と合流します。これは為永が見沼代用水路の工事短縮のために合流させたものです。しばらくは見沼代用水路はこの星川を流れることになります。

星川合流
星川との合流
左側が星川(水の流れは奥から手前へ)、右側が見沼代用水路(水の流れは奥から手前へ)

【「十六間堰」「八間堰」で星川を分離】(添付全体概念図3)
星川と合流してから約17km、久喜市菖蒲町の地で、見沼代用水路は星川と分岐します。ここには、星川側に「十六間堰」が、見沼代用水路側に「八間堰」が設置され、見沼代用水路側に水が必要な時期(春~夏)には「八間堰」を開き、十六間堰を閉めることによって、水が十分に見沼代用水路や下流の田んぼに供給できるようにする工夫がありました(見沼代用水路側に水が不要な時期にはその逆の操作)。

十六間堰・八間堰
十六間堰・八間堰の様子
写真中央下から上に見沼代用水路。中央から左へ分岐するのが星川
星川側に「十六間堰」が、見沼代用水路奥に「八間堰」が見える
(独立行政法人水資源機構写真提供)

【元荒川の下をくぐる=柴山伏越】(添付全体概念図4)
十六間堰・八間堰から約3.3km、見沼代用水路は白岡市柴山の地で、また既存の川である元荒川と遭遇します。平面交差しては折角取り入れた水が失われてしまいますので、元荒川の河底に樋を埋設して元荒川の下をサイフォン式にくぐります。「伏」せて「越」すために、「柴山伏越」と呼ばれます。

柴山伏越 
柴山伏越の様子(上空から)
写真左上から右に元荒川が流れる
中央上部から下へ見沼代用水路が流れているが、見沼代用水路は元荒川で一旦切れているように見える
なお、元荒川に架かる橋のたもとには為永の墓石を祀る常福寺がある。
(独立行政法人水資源機構写真提供)

柴山伏越
柴山伏越の様子(元荒川を越す直前)
水路奥が低くなっており、ここからが伏越の始まり

伏越イメージ
柴山伏越イメージ(さいたま市見沼田んぼのホームページから)

常福寺 為永墓石
柴山伏越のたもとにある井澤弥惣兵衛為永の墓石(常福寺)

【綾瀬川の上を通過する=瓦葺掛渡井】(添付全体概念図5)
柴山伏越をサイフォン式にくぐった見沼代用水路は、上尾市瓦葺の地で、また既存の川である綾瀬川と出会う
ここでは川の上に掛渡井を架けて綾瀬川の上を見沼代用水路が通過する。これが「瓦葺掛渡井」。
この地では綾瀬川は見沼代用水路よりも低い位置を流れており、地盤も軟弱だったために、掛渡井という方法がとられた。


瓦葺掛渡井
瓦葺掛渡井の様子
写真下部左から右へ綾瀬川が流れる
掛渡井を架けて、見沼代用水路が上部奥から下(手前)に向かって流れていた(現在は伏越で綾瀬川を越している)
なお、江戸時代の掛渡井は当然木造だったが、明治時代になって浦賀ドック(神奈川県)で製造されたの鋼鉄製のものが架けられた

瓦葺レンガ
瓦葺掛渡井のレンガ土台の様子
明治時代になって鋼鉄製の掛渡井が架けられてから設置されたレンガの土台
一つの段はレンガの長手(長面)のみ、別の段はレンガの小口(短面)のみで葺くというイギリス式のレンガの積み方

掛渡井イメージ
瓦葺掛渡井のイメージ(さいたま市見沼たんぼのホームページから)

【瓦葺での東西分流】(添付全体概念図6)
瓦葺の地で綾瀬川を越した見沼代用水路は、すぐに東西に分流します(現在では、瓦葺の伏越で綾瀬川を渡る手前で既に分流しています)。ここから先がいわゆる「見沼田んぼ」になるため、田んぼの両側から効率的に水を流すためです。
この先、「見沼田んぼ」の西側を流れる見沼代用水西縁は、瓦葺から砂、本郷、高鼻、北袋、三室、大間木(以上さいたま市)へ至り、東側を流れる見沼代用水東縁は瓦葺から春岡、七里、野田(以上さいたま市)、山口橋(川口市)へ流れて、沿線を始めとする多くの村々を灌漑することになります。

東西分流
瓦葺での東西分流の様子
右側が西縁、左側が東縁

なお、見沼代用水路西縁は、さいたま市北袋の地で高沼用水路を分岐し、高沼用水路はさいたま市中央区を斜めに横断して、「高沼」地区一帯の灌漑用水として利用されました。
高沼用水路については、「与野郷土資料館展示web解説(その24)」で解説します。


その22 与野の大カヤ


その24 高沼用水路-北袋の取水口から鴨川合流まで

地図情報をスキップする。

地図情報

地図をご覧になる場合は、下記リンクをクリックしてください。(Googleマップが新しいウィンドウで開きます。)

関連ダウンロードファイル

GET ADOBE READER

PDFファイルの閲覧にはAdobe Reader(無償)が必要です。同ソフトがインストールされていない場合には、Adobe社のサイトからAdobe Readerをダウンロードしてください。

関連リンク

この記事についてのお問い合わせ

教育委員会事務局/生涯学習部/博物館 
電話番号:048-644-2322 ファックス:048-644-2313

お問い合わせフォーム

ページの先頭に戻る

イベント情報

イベント情報一覧を見る


表示モード : パソコン版スマートフォンサイト

ページの先頭に戻る