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更新日付:2024年2月21日 / ページ番号:C076646

与野郷土資料館展示web解説(その19)

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埼京線ができたころ

昭和44年の新全国総合開発計画で、全国を新幹線網で結ぶ構想が盛り込まれ、翌年、与野を通過するルートを持つ東北新幹線、上越新幹線の建設計画が決定しました。
当初、反対運動があったものの、次第に反対運動は新幹線建設反対から、新幹線に併設する通勤新線の新駅設置要求へと変化し、与野地域には通勤新線の駅を3駅設置することになりました。
この時決まった通勤新線が、現在の埼京線です。

反対運動看板
(「新幹線反対」の看板)

埼京線は、もとの赤羽線と合わせて池袋・大宮駅間が昭和60年9月30日に開通、同時に川越線川越駅までの直通電化運転を開始しました。

与野本町駅の埼京線(開通当時) ヘッドマーク
(開業間もない埼京線ホーム、朝8時台の池袋行き電車)(開業時のヘッドマーク、左の電車先頭にも写っています)

埼京線切符
(開業記念入場券・・・当時、埼京線は池袋駅まででした)

旧与野市域には、北与野駅、与野本町駅、南与野駅の3駅が設置され、高架の新幹線線路の脇を並走することとなりました。
開通当日の与野地域を通過する上りの1番電車は、指扇駅午前4時49分発(大宮駅4時59分発、北与野駅5時2分発)で、5時34分に池袋駅着。
池袋への直通運転や通勤快速の導入などというメリットにより多くの通勤通学客が利用することとなり、現在では川越線と埼京線、東京臨海高速鉄道りんかい線・相模鉄道の相互乗り入れで、川越・新木場間や海老名までの乗り換えなしが可能になっています。

与野本町駅の埼京線 行先案内板
(与野本町駅を出発した現代の埼京線)       (現在の行先案内板、撮影は令和元年)

埼京線が開通したのは昭和60年ですが、この年はどんな年だったのでしょうか。
1月には現在の両国国技館が完成したものの、第55代横綱北の湖が引退し、3月には東北新幹線の大宮~上野間が開通しています。
4月には日本専売公社と日本電信電話公社が民営化され、8月には日本航空機の御巣鷹の尾根への墜落という悲惨な事故が起きています。
9月に入ると、当時の子どもがよく視たバラエティ番組「8時だョ!全員集合」が終了し、11月には阪神が球団史上初の日本一に輝きました。

スポーツ界に目を転じると、ラグビーでは新日鉄釜石が日本選手権で7連覇達成、競争馬のオグリキャップが生まれたほか、
テレビでは「♪すぐおいしい すごくおいしい」のCMもヒットした年でした。
あれから、今年(令和2年)で35年経っています。


その18 武井武氏とフェライト


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