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更新日付:2021年6月23日 / ページ番号:C082101

与野郷土資料館展示web解説(その31)

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近世の石造物といえばこれ!与野の庚申塔

中世を代表する石造物が板碑ならば、近世を代表するものは庚申塔です。
庚申塔とは、中国の道教という宗教に基づいて、民間信仰や習俗が複雑に融合した「庚申信仰」(こうしんしんこう)という信仰によって各地に建てられた石造物です。

60日、60年に1回「庚申」という干支がやって来る

甲(こう)乙(おつ)丙(へい)丁(てい)~という「十干」と、子(ね)丑(うし)寅(とら)~という「十二支」を組み合わせて60通りの十干十二支(干支)を作ると、「庚申」という干支ができます。
この干支をそれぞれ日や年にあてると、60日や60年に1回、「庚申」という干支が回ってくることになります。

この干支は今でも身の回りに残っており、61年目に生れた干支に戻るという「還暦」、教科書で習った「壬申(じんしん)の乱」や「戊辰(ぼしん)戦争」、竣工した年に因む「甲子園球場」(大正13年=甲子の年)などで馴染み深いものです。

庚申信仰とは

さて、庚申信仰とは、庚申の日には人間の体内にいる「三尸」(さんし)と呼ばれる虫が寝ている間に体内を這い出し、天帝にその人の罪を報告してしまうために短命になってしまうので、その日は一晩中起きていて、三尸が体内から這い出せないようにするという長寿を願う信仰です。

三尸
庚申塔に彫られた三尸虫(中央、頭部分を抑えられている)

この庚申信仰は、古代から貴族などの間では行われていましたが、江戸時代に入ると一般庶民の間にも広まり、近隣の人々が集まって「講」を作り、当番の家に集まって庚申の軸を掲げ、供物を供えて勤行(ごんぎょう)した証として各地に記念の塔(庚申塔)が造られていきます。
そう、今でも道端でよく見かけるあの石造物です。
市内の庚申塔は寛文元年(1661年)のもの(見沼区片柳・三国コカコーラ前所在)が最古で、江戸時代の終焉とともにほぼその姿を消します(西区清河寺交差点近くに戦後に建てられたものが最新といわれています)。

掛軸
掲げられた庚申の軸(与野庚申堂)

庚申塔の像容

庚申塔は、一般的には蛇を体や頭にまとい、憤怒(ふんぬ)の顔をした青面金剛(しょうめんこんごう)像(中央部)、三匹の猿(下部)、二羽の鶏(左右両側)などが彫られていますが、猿だけのもの(しかも一匹や二匹だけのもの)や「庚申」や「青面金剛」という文字だけのものもあります。

庚申塔(日進)
一般的な庚申塔(北区日進2丁目)

鶏
庚申塔に彫られた鶏

また、猿の彫られる位置も、上部だったり、下部だったりします。実にバラエティーに富んでいるのが庚申塔です。

庚申塔(一猿)
一猿の庚申塔(桜区栄和、重円寺。上部に一匹の猿が彫られる)

文字庚申塔
文字のみの庚申塔(大宮区三橋4丁目、天神社)

与野に残る庚申塔

さて、与野にも多くの庚申塔があり、約30基が報告されていますが(『与野市史』文化財編)、ここでは市の文化財に指定されているものをご紹介します。
圓乘院庚申塔
圓乘院の庚申塔(寛文5年=1665年)※与野最古の庚申塔

大戸不動堂の庚申塔
大戸不動堂の庚申塔(寛文13年=1673年)

上落合地蔵堂の庚申塔
上落合地蔵堂の庚申塔(延宝3年=1675年)

造られた年代と像の様子の関係

このように、一言で庚申塔といっても多くの像容があり、彫られているものやその位置も時代とともに変化しています。
一般的に、庚申塔の造られた年代と像の様子を検討すると、初期のものは全体的に簡素で、最も重要視されている主尊(しゅそん)は猿が表現されています。
しかも必ずしも三猿ではなく、一匹や二匹のものが見られます。また、猿の彫られる位置も一定していません。

片柳庚申塔
三猿が塔の中央部にある庚申塔(見沼区片柳、路傍)

江戸時代中期になると、青面金剛が主尊として庚申塔の中央に彫られ、三猿が下部に彫られるという、よく見る像に変化します。
ただ、同じ三猿でもその並び方はそれぞれ違い、三匹とも同じ方向を向く猿だけではありません。

三猿-1
興徳寺(西区宮前町)の庚申塔三猿(右向き、正面、正面)

猿-2
大泉寺墓地(西区島根)の庚申塔三猿(右向き、左向き、左向き
(いずれも左から。左右は向っての方向)

また、三猿というと日光・東照宮の「見ざる言わざる聞かざる」(右から)が有名ですが、並ぶ順序もまちまちで、「言わざる聞かざる見ざる」(右から)や「聞かざる言わざる見ざる」(右から)という並びの三猿もあります。

東照宮
日光東照宮の三猿(右から見ざる言わざる聞かざる)

中には青面金剛像が庚申塔本体から飛び出して塔の上部に彫られるなど複雑化したものも出現してきます。

大倭神社庚申塔
青面金剛像が塔の外(上部)に飛び出した庚申塔(大宮区三橋、大倭神社)

それに対して、時代が下がって幕末近くになると、「庚申」や「青面金剛」と文字のみを彫ったものが多くなり、清泰寺(緑区東浦和)では幕末の万延元年(1860年=庚申の年)に奉納された文字の庚申塔300基が垣根のように並んでいます。

清泰寺
庚申年である万延元年(1860年)に奉納された文字の庚申塔(緑区東浦和、清泰寺)

道しるべを兼ねる庚申塔

庚申塔は道しるべを兼ねていたり、邪気は村界から侵入するという考え方のために、道の分岐や交差点に多く建てられています。

道しるべ
道しるべを兼ねる庚申塔(台石部分に右から縦書きで「従是(これより)」「西」「与野三十町」「川越三里」「道」と彫られている)

分岐の庚申塔
道の交差点に建てられた庚申塔(写真中央、大宮区大成1丁目)

皆さんも庚申塔を見る際には、是非、猿の数やその位置、全体の像容についても気を付けてみてください。
新たな発見があるかもしれませんよ。


その30 与野を代表する板碑


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