メインメニューへ移動 メインメニューをスキップして本文へ移動 フッターへ移動します


ページの本文です。

更新日付:2022年2月24日 / ページ番号:C085829

江戸時代の絵図からみる見沼通船堀

このページを印刷する

見沼通船堀を描いた絵図「武州足立郡八町堤通船方拝借地疎絵図」 

 武州足立郡八町堤通船方拝借地疎絵図

早稲田大学図書館蔵「見沼用水通船図」のうち「武州足立郡八町堤通船方拝借地疎絵図」

本資料は文化8年(1811)に描かれた見沼通船堀の絵図です。見沼通船堀を描いた絵図としては現在確認できる最も古いものです。見沼通船堀の構造が窺えるとともに、実際の運用方法についても書かれている重要な絵図です。見沼通船を取り扱う役職の「通船方」を代々務めていたのは高田家と鈴木家でしたが、高田家当主であった高田与清(ともきよ)が幕府の四川用水方(しせんようすいかた、鬼怒川・小貝川・下利根川・江戸川や見沼代用水の用悪水の管理などを担当した役職)に提出したものです。
見沼通船堀の東縁は「東横堀」、西縁は「西横堀」と記述されています。基本的に見沼通船堀の東縁と西縁は同じ仕組みで通船が運用されています。見沼通船堀東縁には水位を調整する関枠として芝川側に「東請堰枠(ひがしうけせきわく)」、見沼代用水東縁側に「東本堰枠」があります。同様に見沼通船堀西縁には芝川側に「西請堰枠」、見沼代用水西縁側に「西本堰枠」があります。それぞれの「請堰枠」が現在の「一の関」、それぞれの「本堰枠」が現在の「二の関」のことです。
見沼通船堀周辺では、秋から春にかけて見沼通船が利用できる時期(通船時期)と春から秋にかけて用水が利用できる時期(用水時期)で、水の流れが異なりました。水の流れを変えるための構造物が「〆切」です。見沼代用水の東西両縁と見沼通船堀が接続する部分に「○シメ切」「△シメ切」とある構造物のことです。通船時期と用水時期の切り替えの時期において、この〆切の切り替えが行われていました。この切り替えについては、通船方が行う場合と四川用水方で行う場合がありました。原則的には「△」の仕立てについては通船方が行い、「○」の仕立てについては「御入用」として四川用水方が行うことになっていました。
「武州足立郡八町堤通船方拝借地疎絵図」翻刻文(PDF形式 210キロバイト)

見沼通船堀周辺の水の流れ

通船時期
通船時期
用水利用が終わり、見沼通船が運営される際には「○シメ切」を取り除き、「△シメ切」を仕立て、見沼通船堀に水を流すことで、通船利用ができるようにした。

用水時期
通船時期
通船利用が終わり、用水利用が開始される際には「△シメ切」を取り除き、「○シメ切」を仕立て、東縁・西縁下流へ流すことで、用水利用ができるようにした。

「武州足立郡八町堤通船方拝借地疎絵図」や見沼通船堀に関連する絵図については、次の文献で紹介されています。市内図書館などでご覧いただけます。
さいたま市立博物館『第43回特別展 見沼 ~水と人の交流史~展示図録』(展示会紹介ページ)
「近世における見沼通船堀周辺の構造と運用の実態について」(『さいたま市立博物館調査レポート』、2019年)(PDFファイル)

地図情報をスキップする。

地図情報

地図をご覧になる場合は、下記リンクをクリックしてください。(Googleマップが新しいウィンドウで開きます。)

関連ダウンロードファイル

関連リンク

この記事についてのお問い合わせ

教育委員会事務局/生涯学習部/文化財保護課 史跡整備係
電話番号:048-829-1725 ファックス:048-829-1989

お問い合わせフォーム