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更新日付:2022年12月19日 / ページ番号:C069401

赤石 竜我 選手(車いすバスケットボール)

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赤石竜我選手
赤石竜我選手

さいたま市出身の赤石竜我選手(三橋中学校卒)。現在は埼玉県をホームとする車いすバスケットボールチーム「埼玉ライオンズ」に所属しています。
平成29年にU-23世界選手権で国際大会に初出場。平成30年にはインドネシア2018アジアパラ競技大会日本代表、令和元年には2019アジアオセアニアチャンピオンシップス日本代表に招集されています。

パーソナルな部分について

Q.好きな食べ物はなんですか?
A.焼肉です。特に好きな部位はカルビです。母親の手料理で一番好きなのは肉じゃがです。

Q.趣味はなんですか?
A.マンガが好きです。スラムダンクやリアルなどのバスケットボールマンガはもちろん、ワンピースやキングダム、鬼滅の刃など色んなマンガを読んでいて、単行本も全て揃えています。

Q.休みの日は何をしてリフレッシュしていますか?
A.マンガを読んでます。最近はポケモンにもハマっています。結構インドアなんですよね(笑)。

Q.毎日欠かさず行っていることはありますか?
A.朝が弱いので、すぐにベッドから出られるよう起きたときに大声を出して目を覚ましています(笑)。

Q.尊敬している方はいらっしゃいますか?
A.大谷翔平選手です。投手も打者もこなす二刀流をはじめとして、周りが無理と言うことを当たり前のように成し遂げてしまう姿が、本当にすごいなーと思って尊敬しています。

Q.座右の銘を教えてください。
A.「有言実行」です。自分自身が昔は口先だけで行動が伴わないことが多くて、それが嫌だったんです。絶対無理だろということを言うのは嫌いなんですよね。今は叶えられるような少し高い目標を口にして実行しています。

Q.さいたま市で思い出のスポットはありますか?もしくは埼玉県内でも。
A.さいたま市ではないですが、西武ドームです。小さい頃は野球が好きで、家族でよく西武ライオンズの試合を見に行っていました。 

競技について

赤石竜我選手
練習の際は真剣そのもの

Q.競技を始めたきっかけは?
A.5歳の頃、ホプキンス症候群という当時日本で3人目という珍しい病気にかかり、車椅子生活が始まりました。リハビリをしていく中で、小学校4年生のとき病院の先生に車椅子バスケットボールを教えてもらい、埼玉ライオンズの見学に行ったんですが、その時はただ見ただけで…。その後、中学校にあがり、仲の良い友達がバスケットボール部に入ったことで興味が湧き、現在所属する埼玉ライオンズに入団しました。

Q.競技用の車いすを初めて扱ったときってどうでしたか?
A.生活用の車いすと全く違って、競技用の車いすは機動力があってびっくりしました。ちょっと漕ぐだけですごく進むし、ブレーキをかけようとするとすぐ回転するんです。車いすの操作には自信があったのに上手く扱えなくてすごく悔しかったですね。

Q.競技の魅力は?
A.健常者のバスケットボールと違う、絶対ケガするだろうっていうくらいの「コンタクト(接触)の激しさ」と車いすだからこその「スピード感」です。

Q.そのコンタクトの激しさでケガはしなかったんですか?
A.競技を始めたばかりの頃は、打撲したり、手の皮が剥けてマメができることも多かったです。最近は突き指などの小さなケガはありますが、大きなケガはないです。

Q.競技をしていて良かったと思ったことはありますか?
A.日本代表になったことで、周りの人に応援してもらえるような自分の中に誇れるものができたことです。また、それ以上に良かったと思うことは、学校では出会えない人々と知り合い、人間関係が増えたことで、世界が広がったことです。

Q.反対に、競技をしていてつらかったこと・やめたいと思ったことはありますか?
A.しょっちゅうありますよ(笑)。うまくいかないな~と感じたときや、上達したのかなと伸び悩みを感じたときにやめたいと思っちゃいますね。日本代表の練習は本当にきつくて、先輩やコーチに怒られることもしょっちゅうです。

Q.それでも競技を続けてこられたのはどうしてですか?
A.勝つことが嬉しいし、家族や友達、学校の先生、いろんな人が応援して支えてくれているからです。それが、頑張り続けられる力の源ですね。誰も応援してくれていなかったら、今まで競技を続けていられなかったかもしれません(笑)。

Q.試合前のルーティンはありますか?
A.視野を広げるためにビジョントレーニング(※)をしています。日本代表になってから教わったんですが、なんかいいんですよね。心が落ち着きます。
※ビジョントレーニング・・・両手の人差し指をたてて顔の前から横に広げ、顔は動かさずに眼だけ動かして視野を広げる動作。

Q.競技人生で一番思い出に残っていることは?
A.2016年5月の天皇杯で、うまくいかずやる気がなくなっていたときがあって。そんな僕の様子を見た父と喧嘩したんです。普段、父は逆らえないような存在なんですが、そのときは。そこから、自分のことを馬鹿にしてきた人たちを見返してやりたいという反骨心が生まれて、そこから急成長した気がしています。

Q.東京2020パラリンピックへの思い、意気込みをお聞かせください。
A.中学1年生で車椅子バスケットボールを始めた矢先に東京でパラリンピックが行われることが決まったんです。そこになにか、運命を感じて、車いすバスケをやろうと決意しました。そのときからパラリンピックに出たいという思いはあったんですが、当時は手が届くとも思っていませんでした。でも、今は狙えるポジションにいます。出られると決まったわけではないですが、出たい思いはあります。もし、出場できたら、出られなかった選手の思いを背負って戦い、日本が目標としているメダルを狙いたいです。

子ども・市民に向けて

Q.障害のある方に向けてメッセージをお願いします。
A.子どもでも大人でも、障害をネガティブなイメージでしか捉えられず、ましてや、パラリンピックに出ることなんて想像できない人も多くいると思います。だからこそ、僕らがパラリンピックで世界強豪国と戦うことで、障害のネガティブイメージを払しょくして、障害があってもこれだけやれるんだと示して夢を与えたいと思います。

Q.最後に、さいたま市民の皆さんにメッセージを。
A.さいたま市は僕が生まれ育った街です。僕自身が活躍することで、さいたま市民の皆さんの誇りとなれたらいいなぁと。さいたま市民の皆さんに「赤石竜我って、さいたま市出身なんだよ」って言ってもらえるような活躍をしたいと思います!さいたま市民の皆さん、僕を、日本を応援してください!

赤石竜我選手
大好きなマンガの話をするときはとても楽しそうでした

※赤石竜我選手へのインタビューは、令和2年1月中旬に行いました。

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