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更新日付:2015年3月27日 / ページ番号:C038931
日本橋と京都を結び、行き交う人で賑わっていた旧中山道。
今回は、北浦和駅から浦和宿方面へ南下する。
北浦和駅東口交差点を南に歩いてすぐの所にある「浦和レッズ レディア像」。
手のひらでレディアの頭(耳)を3回、鼻を2回心をこめてなでると、願い事が叶うと言われている。
浦和橋のそばにある「笹岡稲荷」。
道をはさんで笹岡大稲荷社と笹岡小稲荷社がある。
中山道の宿場町として栄えた浦和宿では、戦国時代から昭和初期まで、毎月二と七のつく日に、「市」が開かれていた。
農婦の銅像が、かつての市場の様子を伝えている。
本陣とは、諸大名などの宿泊所として指定された格式の高い宿のこと。
明治天皇が大宮氷川神社へ行幸される際にも、行在所として利用された。
埼玉りそな銀行浦和中央支店前にある「からくり時計」。
9時・12時・15時・17時の1日4回、可愛らしい歌声で季節に合った歌を披露する。
市指定有形文化財の「調宮縁起」(古文書)によると、第10代崇神天皇の勅令により創建。
調とは、御調物(貢物)の意味で、関東一円の伊勢神宮への貢物が集められたことからこの名前が付けられたと言われ、「延期式神名帳」には武蔵国四十四座のうちの一社と記載されている。
鳥居がない神社としても有名で、貢物の搬出入の妨げになるためと伝えられている。
また、調が月と同じ読みであるところから、月待信仰へと結びつき、月の動物と言われる兎の石像や彫物など、境内や社の所々に兎が配されている。
地元では「つきのみやさま」の愛称で親しまれ、初詣や毎年12月12日に行われる歳の市「十二日まち」では、多くの人で賑わう。
「関元屋商店」は、元々は材木商だったが、現在は米穀店。
建物は大正5年頃に建築されたと伝えられている。
お店の外にある井戸は「お助け井戸」と呼ばれ、関東大震災や東京大空襲で逃げ延びた人々の喉を潤したと言われている。
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