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更新日付:2015年3月27日 / ページ番号:C038934
江戸時代に将軍が日光東照宮へ向かう際に使った日光御成道。
将軍が通った道を辿る。
今回は、緑区大門から緑区野田へ向かう。
縄文時代このあたりに海岸線があり、周辺を掘ると貝殻が多く出てくることから名づけられたと言われている。
昭和54年に行った坂道の愛称募集でも「貝殻坂」と命名された。
参道が印象的な「大門神社」は、古くは十二所権現といわれていた。
現本殿は江戸時代中期~後期の建立である。
元禄7年(1694年)の建立。
番所付きの長屋門で、県の指定史跡になっている。
将軍は岩槻城に泊まったため大門宿では休憩程度であったが、同行した諸大名が宿泊した。
御成道を挟んではす向かいに「大門宿脇本陣表門」もある。
寺領30石を徳川家康より寄進された古刹「大興寺」。
境内に入る門扉に葵の紋がある。
山門を入って左側に市指定有形文化財の徳本上人念仏供養塔がある。
かつては同じ場所を武州鉄道が通っていた。
夜にはちょっとした夜景スポットととしておすすめ。
「国昌寺」の山門は、市指定有形文化財で、欄間に竜の彫刻がある。
この門には、葬列が門をくぐった際に棺から遺体が消え、竜が食べたと騒ぎになり、以来開かずの門となったとの逸話がある。
「鷲神社」では、5月と10月に市指定無形民俗文化財の南部領辻の獅子舞が奉納される。
平安時代の武将新羅三郎義光が、源頼朝の曽祖父である兄の八幡太郎義家を助けるため奥州に行く際、兵の士気を鼓舞するために舞ったのが起こりとされる。
「五斗蒔橋」からの眺めは、かつての見沼田圃を垣間見たような気分にさせる。
橋のたもとには石碑があり天保11年(1840年)の記載がある。
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