ページの本文です。
更新日付:2015年3月27日 / ページ番号:C038942
江戸時代に将軍が日光東照宮へ向かう際に使った日光御成道。
将軍が通った道をたどる。
今回は、緑区南部領辻から見沼区膝子へ向かう。
最盛期には3万羽のサギが棲息したといわれ、サギの繁殖地として国の特別天然記念物の指定を受けていた場所に造られたのが、ここ「さぎ山記念公園」。
さぎ山記念館や芝生広場、アスレチック広場など、色々な楽しみ方ができる、自然がいっぱいの公園。
日光御成道と並行するように通る見沼代用水東べり沿いの「緑のヘルシーロード」には、毎年9月下旬から「彼岸花」が一斉に咲く。
田園風景の中、燃えるような赤色が続くさまには、目を奪われてしまう。
真っ赤な御堂の「見沼弁財天」との共演も素敵。
文禄4年(1595年)開山と伝えられる「光徳寺」。
三代将軍家光以降、代々13石の寺領を賜り、それを証する朱印状が残されている。
八代将軍徳川吉宗の日光東照宮参拝以降、将軍の御休処が置かれた。
少し外れたところにあるここは、知る人ぞ知る一面の「ひまわり畑」。
ここのひまわりは、例年9月に満開を迎える。
秋晴れの空に映えるたくさんのひまわりは、見ごたえあり!
大きな榎が目印の「膝子の一里塚」は、江戸時代初期に築かれたもの。
江戸から8里、岩槻へ1里の位置にある。
当時は、道路の両側に塚を築き、塚上に榎が植えられていたが、明治初年に西側が取り払われ、現在は東側の塚のみが残っている。
ちなみにこの榎は2代目。
(補足)一里塚は、日本橋を起点に1里(約4キロメートル)ごとに塚が築かれ、往来の目安とされていた。
日光御成道と交差する東楽園通りを進むとある「大瀧酒造」。
明治17年創業で、さいたま市の伝統産業事業所としても指定されている。
大吟醸「九重桜」をはじめ、数々の賞を受賞している酒を醸す。
ここ「満蔵寺」は、嘉歴4年(1329年)九月廿三日の銘が読み取れる「板石塔婆」がある。
長い年月が経過した現在でも彫がするどく、整った美しさを持っている。
また、ここには、江戸時代初期の修行僧、円空上人作の阿弥陀仏(円空仏)もあったが、現在は、県立歴史と民族の博物館に寄託している。
市長公室/秘書広報部/広報課
電話番号:048-829-1039 ファックス:048-829-1018
表示モード : パソコン版スマートフォンサイト