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更新日付:2015年3月27日 / ページ番号:C038948
江戸時代に将軍が日光東照宮へ向かう際に使った日光御成道。
将軍が通った道を辿る。
今回は、見沼区東宮下から岩槻区本町へ向かう。
「道標」の棒抗は、地上部の高さ約65センチメートル、正徳3(1713)年の造立で、碑面には江戸道、岩槻道、慈恩寺道、原市道、川口善光寺道などと刻まれている。
ここから右へ行くと東宮下、膝子を経て大門へ、左へ行くと国道16号を横切り大橋で綾瀬川を越えて岩槻に入る。
「大橋」は、県道2号さいたま春日部線(旧国道16号)が綾瀬川をまたぐ地点に架かる橋で、下流側には船着場が設けられ、江戸との間に舟運が通じていた。
上流側には堰(大橋井堰)が併設され、農業用水を取水している。
「浄国寺」は、岩槻城主・太田氏房の発願によって、天正15(1587)年に建立され、徳川家康から寺領50石を寄進された。
県指定有形文化財の浄国寺日鑑、市指定有形文化財の仏眼舎利宝塔、市指定史跡の岩槻藩主阿部家の墓がある。
戦国時代の建立と伝えられる四脚門形式の「山門」。
「洞雲寺」は、戦国時代の天文5(1536)年岩槻城主・太田資頼の創建で、本堂などの諸堂舎は宝永年間(1704~11)の大火により、焼失したが、この山門だけは焼失を免れたといわれる。
大幅な改修が加えられているが、頭貫の木鼻に古い様相をうかがうことができる。
洞雲寺の山門は、市指定有形文化財である。
岩槻城城下町の大通りだった市宿町の中ほどにある「岩槻郷土資料館」は、昭和5(1930)年に建てられた旧岩槻警察署の建物を使い、岩槻の歴史について展示を行っている。
天井の梁や窓にみられるアーチ状の造形やアールデコ調の装飾が随所に施され、警察署庁舎としての機能性と装飾性を兼ね備えた建物のデザインがみられる。
再現された「岩槻藩高札場」がある。
高札場とは幕府が庶民に対し、法令などを伝えるもので、木の札に書き、人々が集まる道筋や舟乗場の橋のたもと、宿場など、決められた場所に設けられていた。
元はこの場所ではなかったが、ここで再現された。
「芳林寺」には、戦国時代の岩槻城主・太田氏資の供養塔で、市指定史跡の太田氏資宝篋印塔がある。
また、平成19(2007)年に建立された「太田道灌公像」は、東京近郊に数多くある道灌の銅像の中でも、甲冑を着用した騎馬像でとてもめずらしい!
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