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更新日付:2015年3月27日 / ページ番号:C038952
江戸時代に将軍が日光東照宮へ向かう際に使った日光御成道。
将軍が通った道をたどる。
今回は、岩槻区本町から岩槻区鹿室へ向かう。
「東玉大正館」(旧中井銀行岩槻支店)は、大正時代後期に建築された煉瓦造りの洋館。
大正時代の中小規模銀行の典型的な造りをしている。
「岩槻藩遷喬館」は、儒者・児玉南柯が寛政11年(1799年)に開設した私塾。
のちに正式な藩校となり、岩槻藩士の子弟が勉学や武芸の稽古に励んだ。
県内では唯一現存する藩校の建物。
岩槻城主が寛文11年(1671年)に設置した「時の鐘」。
鐘にひびが入ったため、享保5年(1720年)に作り直した。
今も1日に3回、美しい音色で時を知らせている。
慈恩寺橋を渡ってすぐの左手に昭和3年建立の「猿田彦大神の祠」がある。
猿田彦大神は、道や旅人の神としても信仰されている。
石碑には「北 幸手町ニ至ル」「南 岩槻町ニ至ル」などと刻まれている。
江戸から10里目にあたる相野原の「一里塚」。
街道の両側に築かれた塚は、かつて榎が植えられていたが、現在、写真の東塚が規模を縮小して復元されている。
(補足)一里塚は、日本橋を起点に1里(約4キロメートル)ごとに築かれ、往来の目安とされていた。
鹿室の交差点を渡ってすぐ左手の庚申塔は「お玉さま」と呼ばれている。
子どもが百日咳にかかると、親たちはここからお玉を借りて、そのお玉で子どもに味噌汁を飲ませて治したと伝えられている。
治ったら、お礼にもう一つお玉を持っていき、お供えをする。
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