ページの本文です。
更新日付:2015年3月27日 / ページ番号:C038724
江戸時代、河川改修や新田開発を行い、この地方の礎を築いた伊奈氏がひらいた赤山街道は、地域発展の原動力となった。
そのうちの大宮道を、今回は、西区土屋から中央区本町東へ向かう。
赤山街道とは、江戸時代に関東地方発展の礎を築いた伊奈氏が、土木工事を推進する中で、拠点とした足立郡赤山(現川口市赤山)の赤山陣屋と現地との連絡や物資の輸送を目的として設けた道路。
伊奈備前前守忠次が荒川改修・新田開発を行うために構えた「土屋陣屋」。長屋門と堀が現存している。
長屋門は、縦約4メートル、横約21メートル、高さ約6メートルと市内最大規模を誇る。
昭和初期には、門前で時代劇の撮影が度々行われていた。
※現在は個人所有となっているが、見学は可能。
江戸時代後期には寺子屋が開かれていた「高城寺」。
明治6年には遊馬学校が開かれ、現在、寺に隣接する馬宮東小学校へと発展する。
そのため、寺紋と馬宮東小学校の校章は同じ「五七の桐」になっている。
並木村萬福寺の「観音堂」。
この道を通った徳川家康が疲れて休んだ際に、里人が渋茶をふるまい、喜んだ家康が「茶堂」と名付けたという言い伝えがある。
正徳2年(1712年)に、建てられた「庚申塔」。現在もお参りする方が多く、線香があげられ、折鶴が飾られている。
伊奈氏の陣屋跡と伝えられ、かつては、2つの曲輪、空堀、土塁などがあった「御屋敷山」。
現在は宅地として開発され、当時の面影を感じることはできない。
新大宮バイパスと交わる交差点「赤山通り」。上には首都高速さいたま新都心線が走る。
鴻沼川に架かる「赤山橋」と「石橋供養塔」。
石橋供養塔は享保11年(1726年)に建てられたもので、側面には橋の建立に関わった100以上の村の名が刻まれている。
参考文献「赤山街道総合調査報告書1 大宮道をだどる」埼玉県川口市教育委員会
市長公室/秘書広報部/広報課
電話番号:048-829-1039 ファックス:048-829-1018
表示モード : パソコン版スマートフォンサイト