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更新日付:2015年9月24日 / ページ番号:C041068
江戸時代、河川改修や新田開発を行い、この地方の礎を築いた伊奈氏がひらいた赤山街道は、地域発展の原動力となった。
そのうちの大宮道を、今回は、中央区本町東から緑区大間木へ向かう。
赤山街道とは、江戸時代に関東地方発展の礎を築いた伊奈氏が、土木工事を推進する中で、拠点とした足立郡赤山(現川口市赤山)の赤山陣屋と現地との連絡や物資の輸送を目的として設けた道路。
赤山橋から歩いていくと、すぐに新幹線と埼京線の高架をくぐることになる(写真左)。
左手には北与野駅が見える。
また、しばらく歩くと、新都心大橋で高崎線や京浜東北線などを越える(写真右)。
赤山街道には、新都心大橋の途中で旧中山道に降りる。
ここから与野駅付近までは、旧中山道と重複する。
赤山街道から名前をとった「赤山通り商店街」。
この付近に商店街ができたのは、比較的新しく、昭和40年代頃。
江戸時代につくられた「大東の富士塚」。
今は大東北児童公園の中にある。
頂上には文化14年(1817年)に建てられた庚申塔が建つ。
富士塚とは、富士山を信仰するため、富士山を模して造られた人工の塚。
関東地方に多く見られる。
北宿通りから南宿に向かう小道に北を向いて立つ「北向き地蔵」。
宝永8年(1711年)に建てられた(現在のものは昭和6年に再建された)。
さるまん塚と呼ばれる塚の上に立つ「庚申塔」。
寛保2年(1742年)に建てられた。
塔身の右側には「東ハ赤山道」、左側には「西ハ大宮道」の文字があり、道標の役割もあった。
江戸時代末期の蘭方医・高野隆仙が建てた数寄屋造りの「旧高野家離れ座敷」。
隆仙は、蛮社の獄で捕えられていた蘭学者の高野長英を、逃亡途中にこの離れ座敷にかくまった。
その後、隆仙は、長英をかくまったことで捕えられ、そのときの拷問の傷が原因で49歳で亡くなった。
参考文献「赤山街道総合調査報告書1 大宮道をだどる」埼玉県川口市教育委員会
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