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更新日付:2016年3月23日 / ページ番号:C043675
江戸時代、河川改修や新田開発を行い、この地方の礎を築いた伊奈氏がひらいた赤山街道は、地域発展の原動力となった。
そのうちの大宮道を、今回は、緑区大間木から川口市赤山へ向かう。
赤山街道とは、江戸時代に関東地方発展の礎を築いた伊奈氏が、土木工事を推進する中で、拠点とした足立郡赤山(現川口市赤山)の赤山陣屋と現地との連絡や物資の輸送を目的として設けた道路。
大間木氷川神社の本殿は、寛文7年(1667年)に、武蔵一宮氷川神社(大宮区高鼻町)の旧本殿を譲り受けたとされている。平成5年に拝殿の火災で焼損したが、平成8年に修復された。
本殿が土台上に建立している附島氷川女体社。附島という地名は、かつて東京湾が大宮台地の辺りまであったころ、この付近が入り江であったと伝えられており、その太古の海の名残が由来の一つと言われている。
見沼代用水が竣工された享保16年(1731年)に、創立したとされる八丁稲荷社。見沼干拓による新田開発に伴ってこの地に住み着いた人々が勧請(かんじょう)したと思われる。
鈴木家住宅は、井沢弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)にしたがって見沼干拓事業に参加した鈴木家が、見沼通船の船割り業務を行っていた役宅で、国指定の史跡である見沼通船堀の指定地に含まれている。
水神社は、享保17年(1732年)に、見沼通船堀で江戸との物資輸送に携わる人たちが、水難防止を祈願して祀ったとされている。
埼玉県下の富士塚では最も古いとされる木曽呂の富士塚。高さ約5.4mの頂上には、お鉢めぐりができるよう火口が掘ってある。また、塚を貫いて胎内くぐりの穴を設けてあるが、現在は入ることができない。
「赤山陣屋跡」は関東郡代であった伊奈半十郎忠治(いなはんじゅうろうただはる)が、寛永6年(1629年)にこの地を治め、開発事業の拠点とするために築いた陣屋の跡地。創建当初に整備された道は、現在でも生活道路として利用されており、周辺には空堀や土塁も往時のまま残っている。
「赤山街道総合調査報告書1 大宮道をだどる」埼玉県川口市教育委員会
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