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更新日付:2023年12月12日 / ページ番号:C092151

ばらエティレポート2022 特別編第5弾 「近藤区長×森田真奈美(中央区出身ジャズピアニスト)音楽対談」

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中央区の区の花はバラであることをご存知ですか。
中央区役所内にはいろいろな種類のバラを植えています。
また、与野公園は、約180種類以上、約3,000株あるバラの名所です。
ここでは、中央区役所や与野公園など、バラの状況をお伝えします。
また、中央区内のおすすめスポットや区民の方のコミュニティ活動などを、ばらエティにレポートします。

今回は特別版第5弾です。

「近藤区長×森田真奈美(中央区出身ジャズピアニスト)音楽対談」

紅葉が美しくなるこの季節は「芸術の秋」とも言われています。中央区は「芸術のまち」と親しまれていますが、今回は芸術の中でも「音楽」をテーマとして、世界で活躍するジャズピアニストの森田真奈美さんと近藤区長との、音楽対談が実現しました。
都内にあるライブハウス「Bluse Alley Japan」で開催される森田真奈美さんのライブ開始前に会場へおじゃまし、対談する機会を設けていただきました。実は、森田さんと近藤区長は同じ与野東中学校卒業生の先輩・後輩という間柄。昨年度は、さいたま市中央区役所主催のアートフェスティバル「よのだもんね!」でゲスト出演いただき、ゆかりの深いアーティストです。

(対談内容は、抜粋です)

区長 本日は、ライブ前のお忙しいところお時間を頂きありがとうございます。本日のために、森田真奈美さんについて少し予習してきました(笑)
森田さん はい!
区長 まず音楽との出会いですが、4歳の時にピアノを習い始めたことがきっかけということですが。
森田さん はい。でも、クラシックが性に合わないというか、ピアノをずっと弾いてみたり、好きな曲を弾いたりとか、ゲーム音楽を勝手にアレンジして弾いたりとかしていました。
区長 本格的にジャズ音楽が好きだなって思い始めたのはいつ頃からですか?
森田さん 通っていた与野東中学校にジャズのビックバンド部があったことがきっかけでした。最初はベースを担当していたのですが、ベースが上手な後輩がいたので「ピアノ習っているならピアノやれば?」と言われ、その後からはずっとピアノです。
区長 高校進学されて、そこでも続けられたのですか?
森田さん そうですね、高校は埼玉県立大宮高校へ進学したのですが、大宮高校の吹奏楽部でビックバンドもやっていて。そのビッグバンドがすごく上手だったので、そこに入りたくて進学を決めました。
区長 吹奏楽部ということは、スポーツの応援とかも行ったのですか?
森田さん 野球部の応援も吹奏楽部で行きました。
区長 最初に進学した大学は音楽系ではなかったとか。
森田さん そうですね、最初は上智大学の外国語学科に進学しました。中学生時代に、海外の高校生と一緒にジョイントコンサートをやったことがきっかけで、語学に興味があったのですが「何か違うな」と思って、バークリー音楽院へ行きました。海外に行ったきっかけも、中学生時代の経験があって、そこから海外に行きたい気持ちがすごく強かったので。
区長 外国語を専攻したベースにも音楽があった、ということなのですね。
森田さん 上智大学でも学生生活は楽しかったのですが、しばらくして「ちょっとなんか違うな」という気持ちになり、一大決心をして海外留学をきめました。この頃は若かったなって(笑)
区長 今となっては、それの決断が大事だったのですね。
森田さん さすがに大学入っといて、卒業してから行けば?と言われたのですが、その時は卒業してから海外へ行くという選択肢はなくて。「今、行かなきゃ」という思いでした。
区長 なるほど。バークリー音楽院って、全然素人でよく知らないのですが(苦笑)
ここに行かないと学べなかった、というようなお気持ちでしたか?
森田さん 日本にいても多分ジャズはできたと思うのですが、 「一人で生きる」っていうか、誰も知らないところに一人でいるってことかな。その時まで一人暮らしも初めてでしたし、言葉は渡米してから話せるようになりました。

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区長 日本に戻られたきっかけは?
森田さん 直接帰ってきたきっかけは主人がアメリカ人なのですが、日本にちょっと住みたいっていう話がありまして。私も最初どうしようかなとすごく悩みました。その時、ちょうど東日本大震災の時期で、家族の近くにいたいなっていう気持ちもあり、色々ありまして。
区長 森田さんと言えば、2011年に発表された『I am』が、テレビ朝日「報道ステーション」のオープニングテーマとして有名ですが。
森田さん 当時、東日本大震災の頃で、特に思い入れのある一曲です。2011年から放送された番組のオープニングテーマで、日本に帰ってきたのは2015年ですが日本に対する思いみたいなものを曲に反映しています。
区長 それでは、ちょうど日本に戻る流れだったという感じでしょうか。
森田さん そうですね、アメリカにも10年いましたし、区切りという形で日本に帰ってきて。また日本に永住するかどうかもちょっとわからないですし、また、どこかにちょっと自分がいきなり思い立って行くかもしれないかな、とか(笑)アメリカにしろ、日本にしろ、「ここで私は骨を埋める」みたいな、あんまりそういうのはないので。
区長 日本での生活は、いかがですか?
森田さん 主人は最初とても喜んでいましたが、難しい時もあったみたいで。最近は、お友達も出来て、楽しく過ごしているようです。実家にも、子供たちを預けたりして、色々お世話になっています。
区長 プロのジャズピアニストになるのも簡単ではないと思います。ピアノの技術を磨くために、どの様な練習をしましたか?
森田さん 一通りクラシックを弾いていましたし、バークリーに行ってからも指の練習を沢山しました。ジャズは、とにかく色々な人の楽曲を聴いて耳コピして、聴いて譜面にしたり、何度も何度も弾いて練習しました。
区長 中央区は「芸術のまち」でもあります。音楽もその大きな要素の一つでありますが、今後やってみたいことはありますか?
森田さん 子どもたちとジャズライブ!私も子どもがいるのですが、なかなかジャズのライブハウスにお子様があんまり来ないので、昼にあえて子ども向けではない大人のライブを子どもに見てもらうというようなイメージで、是非実現したいです。
区長 まさに、森田さんがライブで披露されるような「日本の歌でジャズる」と。いいですね!日常に音楽がもっともっと溢れているような街に、さいたま市中央区がなるといいと思います。
森田さん 子供向けに合わせなくても、生演奏は本当に楽しめると思うので、そういうイベントができたらいいかなと思っています。
区長 昨年、森田さん率いるビッグバンドのライブを拝見させていただいたのですが、本日お話を聞いて与野にお住まいだった時にルーツがあったのだな、と分かりました。
森田さん ありがとうございます。でも、ビックバンドを編成するもの毎回本当に辛くて(苦笑)曲を書くことが結構大変なのと、やっぱり人数が多いので…。物理的にスケジュールを合わせるとか、お客様にもたくさん来てもらうとか、独特のプレッシャーがあります。とにかく時間がかかるので、それしか考えられなくなりますし。ただ、曲を作り上げて、それが形になった時の喜びというか、達成感みたいなのはすごくありますね!
区長 最後に、中央区の皆様へメッセージをお願いします。
森田さん 中央区は本当に住みやすくて、この土地で生まれ育った基盤というか安心感のようなものが、自分の根底にあると思っています。それをベースにして、様々なチャレンジをし続けていきたいと思っています。

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取材協力:Blues Alley Japan
撮影:須藤麻未子、多賀谷哲也

この記事についてのお問い合わせ

中央区役所/区民生活部/コミュニティ課 
電話番号:048-840-6020 ファックス:048-840-6161

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