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更新日付:2023年1月10日 / ページ番号:C076437

トランスボックスラッピング

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岩槻駅東口周辺に設置されている歩道上のトランスボックス(配電用地上機器)にラッピングを装飾しました。
岩槻へお越しの際はぜひご覧ください。

岩槻古城八景

「岩槻古城八景」は、明治時代に旧岩槻藩士らによって往古の岩槻城の姿を残そうと、「近江八景」になぞらえて制作されたものと言われており、9枚の絵が現存しています。
また、各ラッピングに掲載している和歌は、「岩槻古城八景歌集」に集められた和歌であり、各「岩槻古城八景」の光景を詠んだ和歌となります。ラッピングに掲載しているQRコードにより、市ホームページで他の和歌も閲覧することができます。

   岩槻古城八景とは

古城八景
(「岩槻古城八景」のラッピング)
案内
(「岩槻古城八景」の紹介ラッピング)
古地図
(古地図)
案内図
(ラッピング設置場所案内図)

日光道中絵図

日光道中絵図は、天保14年(1843)4月の徳川12代将軍家慶の日光社参の行程を示した道中図です。絵図には、関所・一里塚・郡境・国境のほか、村名ごとに領主の記載があるほか、街道を往来する人々の姿や沿道の風景が細かな筆で描かれています。初日の宿泊地の岩槻城が地図に書き込まれています。

日光道中絵図
(「日光道中絵図」のラッピング)





人形のまち岩槻 

 武州(埼玉県を含む旧国名)の村々では、巨大都市に成長した江戸の需要を受け、江戸時代に人形作りが始まりました。埼玉県東部地域では、箪笥や桐箱などの桐細工が盛んで、加工の過程で出る大鋸屑を材料として人形作りが発展したと考えられています。
 岩槻では大正期以降に産地形成がされ、第二次世界大戦後には県内最大の産地に成長して、日本の人形作りを支えました。人形は分業で作られますが、岩槻では伝統的な桐塑頭を製作する職人が多くいました。戦後は、頭、胴体に手足のほか、小道具やガラスケース、人形作りの材料など周辺の物作りも岩槻に集まり、木目込人形の製造も盛んになりました。様々な種類の人形が岩槻で生まれ、全国に旅立っていったのです。

人形のまち岩槻
(「人形のまち岩槻」のラッピング)


この記事についてのお問い合わせ

岩槻区役所/区民生活部/観光経済室 
電話番号:048-790-0118 ファックス:048-790-0260

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