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更新日付:2014年4月23日 / ページ番号:C035786

岩槻区の歴史

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 岩槻の地は古くから開けた自然環境に恵まれたところで、区内に数多く残る遺跡から発見された真福寺貝塚出土品などによると1万年以上前から人間の生活が営まれていたことがわかっています。
縄文時代前期と後期には陸地に海が浸入し、台地部には国史跡真福寺貝塚をはじめとする貝塚が多くできました。
                                             
 岩槻(岩付)の名が歴史上初めて登場するのは、「長谷河親資着到状」(はせがわちかすけちゃくとうじょう)という古文書のなかで、室町時代初期の永徳2年(1382)のことです。この前の年(1381)の5月、岩槻で合戦があったことが記されています。
 江戸時代まで岩槻周辺には利根川(現・古利根川)、荒川(現・元荒川)などの大河が流れ、また東北地方に通じる主要な街道が通るなど水陸交通の要衝でした。このため、岩槻は軍事上の拠点として時の有力武岩槻城并侍屋敷城下町迄総絵図将から重視され、城が築かれるに至ったのです。
 江戸時代に日光東照宮が造営され日光社参が始まると、日光御成道が整備されました。城下町としてまた宿場町として、岩槻は武蔵国東部の中心地として大いに栄えたのです。
 明治に入っても南埼玉郡役所が置かれるなど、埼玉県東部の政治・経済の中心地であり続け、町作りも活発に行われました。昭和29年(1954)には、岩槻町、川通村、柏崎村、和土村、新和村、慈恩寺村、河合村が合併し、岩槻市となりました。そして平成17年4月1日、さいたま市・岩槻市の合併により、さいたま市の第10番目の区として「岩槻区」が誕生しました。

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