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更新日付:2013年12月24日 / ページ番号:C003680

別所沼ゆかりの芸術家たち 詩人・俳人編

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タイトル

立原道造

(たちはらみちぞう 詩人・建築家 大正3年から昭和14年)

あらまし

ヒアシンスハウス写真
ヒアシンスハウス

立原道造は、東京日本橋で荷造用の木箱製造を家業とする家に生まれました。中学、高校の先輩堀辰雄の影響もあって若い頃から詩歌の才能を示し、多くの作品を残しています。24歳という若さで亡くなりましたが、大学で建築科を専攻するなど、多才な人物でもありました。彼は神保光太郎とも親交を結び、たびたび別所沼を訪れており、そこに当時としては珍しいワンルームの住宅を建てる構想を持っていましたが、結局実現しませんでした。
昨年、「ヒアシンスハウスをつくる会」により、残された設計図を基にそのヒアシンスハウスが公園内で建てられ、公開されています。
(注釈)ヒアシンスハウス開室は水曜日、土曜日、日曜日、祝日10時から15時

長谷川かな女

(はせがわかなじょ 俳人 明治20年から昭和44年)

あらまし

 長谷川かな女は明治20年に日本橋で生まれ育ち、高浜虚子に入門した後に、夫・零余子が創刊した俳誌に参加するなど女流俳人の草分け的存在と言われています。昭和3年には、浦和に移住し、俳誌「水明」を創刊主宰し、昭和44年に81歳で亡くなるまで市内に住み続けました。別所沼の沼畔にある句碑は昭和36年に建てられたものであり、その句は敗戦直後の別所沼付近の風景を詠んだものです。

神保光太郎

(じんぼこうたろう 詩人 明治38年から平成2年)

あらまし

 別所沼には、昭和57年11月に建てられた神保光太郎の詩碑があります。山形県に生れた神保光太郎は、京都大学文学部を卒業し、昭和10年に別所沼の近くに移り住みます。詩作や翻訳などの執筆活動を続け、詩碑の「冬日断章」が掲載されている詩集『青の童話』などの著書を出版しました。日本大学教授を務める一方、地域の芸術文化の向上発展に寄与したことから昭和39年には埼玉芸術文化賞を受賞しています。

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