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更新日付:2024年4月25日 / ページ番号:C009073

第4回特別展 掘りおこされた大宮の昔1 鎌倉公園遺跡展

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会場風景昭和59年3月3日(土曜日)から4月8日(日曜日) (日曜日)

旧大宮市内には約400か所以上にもおよぶ遺跡が残されています。近年は開発に先立つ発掘調査も増加し、調査終了とともに遺跡が壊されていってしまう反面、貴重な埋蔵文化財が続々と発見されています。こうした埋蔵文化財をいち早く紹介し、市民の方々の学習・研究に役立てていただくため、今回は昭和56年に発掘調査された鎌倉公園遺跡を紹介しました。

展示構成

遺跡地図パネルはじめに

東新井団地や海老沼(えびぬま)小学校の付近は、かつては海老沼と呼ばれる低地でした。今から約6000年前にはここまで海が入り込み、やがて海が引いていったあとも魚がとれ、小さい水田を作るのにも適していたので、沼周辺の台地上には人々が生活を営んだ跡が数多く残されています。 東新井団地東側の台地上にある鎌倉公園遺跡もその一つです。近くに「鎌倉街道」と呼ばれていたところがあることから「鎌倉公園」と名付けられました。昭和56年(1981)に発掘調査が行われ、縄文時代と弥生時代から古墳時代にかけての「むら」の跡が発見されました。

縄文時代展示縄文時代の鎌倉公園遺跡

鎌倉公園遺跡では、縄文時代の早期(約8000年前)、前期後半(約5000年前)、中期後半から後期初頭(約4000年前)の土器が発見されており、これらの時期に人々が立ち寄ったり、生活を営んでいたと思われます。特に中期後半から後期初頭にかけては、竪穴住居跡が12軒も発見されました。

弥生時代展示弥生時代後期~古墳時代初頭の鎌倉公園遺跡

鎌倉公園遺跡では、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての竪穴住居跡も20軒発見されています。これらの住居は、平面形状が方形や長方形をしており、一辺の長さが9m以上もある大型住居、6m前後の中型住居、4m前後の小型住居に分けられます。数世代にわたって営まれた「むら」の一場面を見れば、一軒の大型住居と数軒の中小の住居があったことと思われます。

関連講座(終了しました)

スライドと講演「鎌倉公園遺跡発掘調査の記録」

講師:山形洋一氏(大宮市社会教育課学芸員)
日時:昭和59年3月24日(土曜日)午後2時~3時30分

展示パンフレット

図録表紙大きさ A4版 1ページ
※配布は終了しました。
※「わたしたちの博物館」第9号に展示紹介記事が掲載されています。

この記事についてのお問い合わせ

教育委員会事務局/生涯学習部/博物館 
電話番号:048-644-2322 ファックス:048-644-2313

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