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更新日付:2023年12月14日 / ページ番号:C100066

さいたま市立博物館第47回特別展「さいたまの埴輪」展示資料紹介(3)

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第47回特別展「さいたまの埴輪」展示資料紹介(3)

第47回特別展「さいたまの埴輪」 では、市内の古墳や古墳跡から発見された各種の埴輪や関連する資料を、約170点展示しました。このページでは、実際の展示構成に沿って、第3章の主な資料を紹介します。

第3章 埴輪いろいろ

第3章では、さいたま市内各地の古墳で出土した埴輪を、おおよそ年代順に、出土した古墳ごとに展示しました。

大久保古墳群白鍬(しらくわ)支群 白鍬塚山(しらくわつかやま)古墳出土の埴輪

白鍬塚山古墳は、周溝(しゅうこう)の外径が約45mある、市内では規模の大きな円墳で、墳丘は一部が現存しており市指定史跡となっています。昭和62年(1987)、昭和63年(1988)、平成28年(2016)に、西側の周溝部分の発掘調査が行われ、人物埴輪や形象埴輪を含む多数の埴輪が出土しました。 横方向のハケ目を持つ大型の円筒埴輪や朝顔形埴輪が出土しており、市内で出土した埴輪の中でも最も古い形のもので、市指定文化財に指定されています。 出土した埴輪の形式から、5世紀後半に造られたとみられています。

白鍬塚山古墳 人物埴輪足部分破片

人物埴輪破片
全身を再現した人物埴輪の、右足の甲の部分の破片とみられます。

白鍬塚山古墳 形象埴輪(家)破片

形象埴輪破片
家型の埴輪の破片とみられます。表面には建物の柱のような凸帯が表現されています。

白鍬塚山古墳 朝顔形埴輪

朝顔形埴輪
口縁部直径52cm、高さ60cmを測る、市内最大の朝顔形埴輪です。表面は横方向のハケ目で丁寧に仕上げられています。

大久保古墳群白鍬支群 かね山古墳出土の埴輪

かね山古墳は、周溝の外径が約36mある円墳で、墳丘は一部が現存しており市指定史跡となっています。昭和46年(1971)、昭和60年(1985)、平成23年(2011)に、北側部分の発掘調査を行い、朝顔形埴輪や円筒埴輪が出土しました。 出土した埴輪の形式から、6世紀前半に造られたとみられています。

白鍬塚山古墳 朝顔形埴輪かね山古墳 円筒埴輪かね山古墳 3条円筒埴輪
左:朝顔形埴輪(上半部のみ)/中:円筒埴輪/右:3条の凸帯がある円筒埴輪

・大久保古墳群白鍬支群の古墳の位置

大久保古墳群白鍬支群地図※1~7:白鍬宮腰遺跡1~7号墳(第4次調査)
※1~4(丸囲み):白鍬宮腰遺跡第17次調査第1~4号墳
※ T:確認調査で発見された周溝(規模は推定)

(塗りつぶし):県や市の史跡に指定されている古墳
(内側薄赤色):一部分でも墳丘が残っている古墳
(白抜き):墳丘が失われている古墳、発掘調査等で周溝のみ確認された古墳
目:埴輪が置かれていたとみられる古墳

側ヶ谷戸(そばがいと)古墳群 稲荷塚古墳出土の埴輪

稲荷塚古墳は、墳丘の直径35m、周溝の外径48mを測る、市内最大級の円墳です。造られた時期は6世紀の中頃とみられています。 現在も墳丘が残っており、市の指定史跡として保存されています。稲荷塚古墳のある大宮国際中等教育学校の敷地は、元々は三橋中学校の建設のために昭和23年(1948)に整地されました。このときに埴輪が多数出土し、現在も三橋中学校などで保存されています。その後も学校整備に伴って、昭和56~57年(1981~1982)に周溝部分や周囲の遺構の確認調査が行われ、多数の埴輪が出土しています。

稲荷塚古墳 人物埴輪頭部(三橋中)稲荷塚古墳 人物埴輪頭部
左:人物埴輪頭部(三橋中学校蔵)/右:人物埴輪頭部
いずれも帽子か頭巾(ずきん)のような被り物を表現しています。左の人物は首が長いのが特徴です。

稲荷塚古墳 現況稲荷塚古墳 周溝の調査
左:稲荷塚古墳の現況/右:稲荷塚古墳周溝の調査のようす

側ヶ谷戸古墳群 側ヶ谷戸8号墳出土の埴輪

側ヶ谷戸8号墳は、平成7年(1995)の発掘調査で発見されました。周溝の外径が約40mある、市内では規模の大きな円墳で、周溝からは円筒埴輪が多数出土しました。造られた時期は6世紀の中頃とみられています。

かね山古墳 円筒埴輪側ヶ谷戸8号墳 円筒埴輪 凸帯剥がれ
円筒埴輪:凸帯が2条のもののほか、3条のものも発見されています。凸帯のはがれた箇所では、埴輪の表面に横線が引かれているようすが見られます。凸帯を貼り付けるときの目印と思われます。

側ヶ谷戸古墳群 側ヶ谷戸11号墳出土の埴輪

側ヶ谷戸11号墳は、平成13年(2001)の発掘調査で周溝が発見されました。周溝の外径は約25mで、西側には周溝を掘り残した陸橋状の部分が発見されています。周溝からは人物埴輪3体以上、馬形埴輪2体以上などが出土しました。造られた時代は6世紀の中頃と推定されており、埴輪は生出塚埴輪窯(おいねづかはにわかま)(鴻巣市)で作られたものであることがわかっています。 埴輪は市指定文化財に指定されています。

側ヶ谷戸11号墳 馬形埴輪全体側ヶ谷戸11号墳 馬形埴輪各面
馬形埴輪:1頭はほぼ全体が復元されました。体の長さに比べて背が高いことや、大きな馬鈴(ばれい)、轡(くつわ)の両側に付けられた半月型の鏡板(きょうばん)が特徴です。

側ヶ谷戸11号墳 人物埴輪(男女2体)
左:男性人物埴輪/右:女性人物埴輪
男性は髪を耳の前で結った美豆良(みずら)とし、頭巾のようなものを被っています。女性は髷(まげ)を結い、球形の飾りがついた首飾りを身に着けています。

かね山古墳 円筒埴輪側ヶ谷戸11号墳 円筒埴輪内面の窯印
左:円筒埴輪/右:円筒埴輪の内側に付けられた印
円筒埴輪は、稲荷塚古墳や側ヶ谷戸8号墳のものに比べて細く、歪みもみられます。内側には×を重ねたような印が付けられています。

側ヶ谷戸古墳群 井刈(いかり)古墳出土の埴輪

井刈古墳は、現在は水田となっている鴨川沿いの低地にあった古墳です。昭和26年(1951)刊行の「埼玉県史」では前方後円墳と円墳があったと記録されていますが、その後削平され、さらに水田とするための切土工事が昭和37年(1962)ごろ行われました。この工事の際に埴輪が出土し、馬形埴輪や人物埴輪など数点が保存されています。
井刈古墳 馬形埴輪2体側ヶ谷戸11号墳 馬形埴輪各面
馬形埴輪(個人蔵):1頭はほぼ全体、1頭は頭から胸の部分が復元されています。このほかにも馬形埴輪が出土したという記録もあり、大規模な古墳だったことがうかがえます。
 

・側ヶ谷戸古墳群の古墳の位置

側ヶ谷戸古墳群地図※1~19:側ヶ谷戸1~19号墳
※ T:確認調査で発見された周溝(規模は推定)

(赤塗りつぶし):県や市の史跡に指定されている古墳
(内側薄赤色):一部分でも墳丘が残っている古墳
(白抜き):墳丘が失われている古墳、発掘調査等で周溝のみ確認された古墳
目(茶色):埴輪が置かれていたとみられる古墳

白幡古墳群 白幡2号墳出土埴輪

白幡2号墳は、昭和54年(1979)に行われた浦和商業高校敷地内での発掘調査で、周溝だけが発見された4基の古墳のうちの一つです。4基のうち、2号墳だけで人物埴輪や円筒埴輪が出土しました。つくられた時期は6世紀後半とみられます。
かね山古墳 円筒埴輪白幡2号墳 人物埴輪胴部
左:円筒埴輪/右:人物埴輪の胴の部分 いずれも埼玉県立さきたま史跡の博物館蔵

・白幡古墳群の古墳の位置

白幡古墳群の地図

※1~6:白幡1~6号墳
※ T:確認調査で発見された周溝(規模は推定)

(白抜き):墳丘が失われている古墳、発掘調査等で周溝のみ確認された古墳
目(茶色):埴輪が置かれていたとみられる古墳

東宮下出土埴輪

発見の経緯や詳しい出土地点はわかりませんが、見沼区東宮下で出土したものと伝えられています。6世紀の中頃に、生出塚埴輪窯(鴻巣市)で作られたものと推定されています。東宮下では、この埴輪のほか、A-117号遺跡での発掘調査で円墳1基が発見され、埴輪の破片が出土しています。
東宮下 男性人物埴輪
東宮下 線刻画人物埴輪鹿の線刻画
人物埴輪:顔や胸、腰の部分に、線で絵や模様が刻まれています。古墳時代の絵画資料として、とても珍しいもので、市指定文化財に指定されています。

浄安寺境内古墳出土埴輪

岩槻区本町5丁目にある浄安寺の境内で出土した人物埴輪です。墳丘は失われており、発掘調査も行われていないため、古墳の位置や規模はまだ分かっていません。作られた時期は6世紀の後半と推定されています。
浄安寺境内古墳 人物埴輪
人物埴輪

・見沼区・岩槻区の古墳の位置

見沼区・岩槻区の古墳の地図(白抜き):墳丘が失われている古墳、発掘調査等で周溝のみ確認された古墳
目(茶色):埴輪が置かれていたとみられる古墳

続きはこちら

第4章 埴輪を調べる

展示図録を販売しています

展示資料の写真や解説などを掲載した展示図録は、市立博物館で販売しています。

価格:600円
規格:A4版、カラー、48ページ

郵送でのやり取りで購入することもできます。詳しくはこちらのページをご覧ください。

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