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更新日付:2024年4月7日 / ページ番号:C113179

さいたま市立博物館展示web解説(江戸時代その3)

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さいたま市立博物館展示web解説(江戸時代その3)ー中山道の浮世絵のはなしー

富嶽三十六景 神奈川沖浪裏浮世絵(うきよえ)は江戸時代に発達し、人々の目を楽しませてきました。江戸時代の中期までは美人画や役者絵が流行の中心でしたが、19世紀(1801~1900)ごろから、様々な風景を描いた浮世絵の人気が高まりました。
風景画で特に有名になった連作の浮世絵として、葛飾北斎(かつしかほくさい)の「富嶽三十六景」(ふがくさんじゅうろっけい)、歌川広重(うたがわひろしげ)の「東海道五十三次」(とうかいどうごじゅうさんつぎ)があります。木版刷りで数多く印刷されたこれらの風景画は、国内はもちろん、幕末の開国以降は海外にも流出し、19世紀末にはヨーロッパの画家たちにも大きな影響を及ぼしました。
(右画像:「富嶽三十六景」より「神奈川沖浪裏」 国立文化財機構所蔵品統合検索システム https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-685 より)

中山道の風景を描いた連作「木曾海道六拾九次之内」(きそかいどうろくじゅうきゅうつぎのうち)は、天保5年(1834)に完結した広重の「東海道五十三次」の好評を受けて企画されました。抜擢された画家は、美人画を描いて人気を博していた渓斎英泉(けいさいえいせん)。天保6年(1835)以降、中山道の江戸側である武蔵国の各地の風景から発行が始まりました。このうちさいたま市域の風景を描いた作品は、「支蘇路ノ驛 浦和宿 浅間山遠望」(きそじのえき うらわしゅく あさまやまえんぼう)、「木曾街道 大宮宿 冨士遠景」(きそかいどう おおみやしゅく ふじえんけい)、「木曾街道 上尾宿 加茂之社」(きそかいどう あげおしゅく かものやしろ)の3点があります。いずれも実際の風景を正確に描いたものではなく、浮世絵として楽しめるよう大胆なアレンジも加えられていますが、江戸時代の市内の風景を鮮やかに描いた貴重な作品です。

「支蘇路ノ驛 浦和宿 浅間山遠望」

支蘇路ノ驛 浦和宿 浅間山遠景
左右を水田に囲まれた街道を、旅人や商人風の人が行き来しています。街道の先には橋が架かっており、その先には浦和宿と思われる家並み、そして薄く煙をたなびかせている浅間山が見えます。
水田や橋の様子から、現在の蕨市錦町5丁目からさいたま市南区辻にかけての風景を元に描いたのではないかと思われます。

「木曾街道 大宮宿 冨士遠景」

木曽街道 大宮宿 冨士遠景
街道は手前から右奥に大きく曲がりながら続いており、駕籠(かご)に乗った人や、鍬と籠を背負った親子らが描かれています。街道の脇は急な斜面になっており、遠方にも旅人の姿が見えます。斜面の下には水田が広がり、その向こうには富士山が美しい姿を見せています。
大宮宿の前後では、中山道は大宮台地の中央付近を通っている区間が多く、街道の富士山側にあたる西側に斜面が近づいている区間は限られます。一か所は現在のさいたま新都心駅付近(大宮区北袋町)、もう一か所は現在の宮原中学校付近(北区宮原町)です。このうち、宮原中学校付近は、下の「木曾街道 上尾宿 加茂之社」の元となったと思われる加茂神社(北区宮原町)よりも上尾寄りになることから、この作品の舞台を特定できるとすれば、現在のさいたま新都心駅付近である可能性が考えられます。

「木曾街道 上尾宿 加茂之社」

木曽街道 上尾宿 加茂之社
「加茂之社」という表題ではありますが、神社は右端に一角が描かれているだけで、絵の主役は神社のとなりの民家、おそらくその住人が家の前の街道に唐箕(とうみ)を出して玄米ともみ殻の分別作業を行っている様子です。むしろを使ってもみ殻が街道に飛び出さないように押さえているところなど、作業の様子がよくわかります。
加茂神社は現在も北区宮原町4丁目の中山道沿いにあり、道行く人々を見守っています。

さて、渓斎英泉の作品によって発行が始まった連作「木曾海道六拾九次之内」ですが、英泉は24点の絵を描いたところで手を引き、残る各地の風景は歌川広重が担当することになりました。版元も、当初の「保英堂」から、保英堂と「錦寿堂」との共版、そして錦寿堂の単独発行へと変わっています。版元と作家の関係悪化などが理由ではないかと推測されていますが、詳しい理由はわかりません。
ともあれ広重と錦寿堂が引き継いだ企画は、天保13年(1842)までに中山道六十九次を完結し、「富嶽三十六景」「東海道五十三次」と並ぶ浮世絵風景画の名作として評判になりました。およそ10年後の嘉永5年(1852)には、武者絵を得意とした浮世絵師の歌川国芳(うたがわくによし)が、同じ「木曾海道六拾九次之内」というタイトルで、各宿場から連想される人物の姿を描いた連作を出版するなど、その後の作品にも様々な影響をおよぼしています。

常設展示のようす市立博物館の常設展示では、展示ケース内に上の3点の浮世絵の複製パネルを展示しているほか、大宮宿の模型の上部にある電光式パネルにも、「木曾街道 大宮宿 冨士遠景」、「木曾街道 上尾宿 加茂之社」 の複製を掲示しています。ぜひご覧ください。

江戸時代その4 -編集中-

江戸時代その2 -井澤弥惣兵衛為永のはなし-

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