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更新日付:2022年12月19日 / ページ番号:C069714

藤澤 潔 選手(車いすバスケットボール)

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藤澤潔選手
藤澤潔選手

長野県出身の藤澤潔選手。現在はさいたま市在住で、株式会社コロプラ及び車いすバスケットボールチーム「埼玉ライオンズ」に所属し、練習に励んでいます。
2015アジアオセアニアチャンピオンシップス予選会、2017アジアオセアニアチャンピオンシップス、2018世界選手権大会など、数々の国際大会に日本代表として出場。
2016年リオパラリンピックには日本代表として出場し、9位を獲得しました。

また、令和元年9月に行った1年前イベントにもご出演いただき、実演をふまえながら車いすバスケットボールの魅力をお伝えいただきました。

パーソナルな部分について

Q.好きな食べ物・飲み物はなんですか?
A.うなぎです。コーヒーも好きで、職場のコーヒー部にも入っています。

Q.競技以外に好きなものはなんですか?
A.車移動が多いのでラジオを聞くのが好きです。

Q.尊敬している方はいらっしゃいますか?
A.車いすバスケットボールの藤本怜央選手と香西宏昭選手です。自分と同世代ながらも、代表の第一線で活躍を続けるパフォーマンスの高さを尊敬しています。代表を目指している気持ち、代表に選ばれた時の気持ち、どちらも感じたことのある自分だからこそ感じることだと思います。

Q.座右の銘を教えてください。
A.「意志あるところに道はある」です。僕は長野出身で、車いすバスケットボールのできる、より良い環境を求めてさいたま市に移り住みました。強く思うことで掴むことができるというところに、自分の経験が重なったんですよね。

Q.さいたま市でよく行くスポットはありますか。
A.よく近所の公園に子どもと一緒に散歩に行きますね。あとは、コーヒーが好きなので近所にあるコーヒー屋さんにも行きます。 

Q.毎日欠かさず行っていることはありますか?
A.コーヒーを朝と夜飲むことです。夜、コーヒーを飲む際は1日を振り返ってメンタル面や練習のことを記録しています。自分と向き合う時間を作り、明日どうするかまでを決めるようにしています。元々記録をつけるようにしていたんですが、リオパラリンピックが終わってからは毎日続けています。

競技について

藤澤潔選手
得意のシュート

Q.競技を始めたきっかけは?
A.5歳の頃、跳び箱から落ちてしまい、下半身麻痺となりました。地元である長野県の障害者福祉センターで週に一度活動している車いすバスケットボールのクラブチームがあり、そこで競技を始めました。

Q.長野で競技を続けなかったのはどうしてですか?
A.同じ志を持つ人が多い環境を求めていました。そこで、車いすバスケットボールの強豪チームがある埼玉に来ました。

Q.競技の魅力はなんだと思いますか?
A.様々な障害の人が一緒にプレーできることです。車いすバスケットボールは障害の程度に応じて選手ごとに1.0~4.5の持ち点がふられていて、チームの構成メンバーは合計14点以内となるようにしなければならないんです。障害の程度が軽い人(持ち点が高い人)だけで構成するとすぐに14点を越えてしまう。バランスをとってチーム構成しなければならないというルールが、互いに敬意を払い、互いの良さを最大限に引き出し、価値あるプレーを生み出すことにつながっていると感じています。

Q.競技をしていて良かったと思ったことはありますか?
A.車いすバスケットボールを「仕事」としてできていることです。現在は、株式会社コロプラでアスリート活動と社内外への広報活動をしています。好きな車いすバスケットボールで、アスリートとして自立できたことは本当に良かったと感じています。

Q.競技をしていてつらかったこと・やめたいと思ったことはありますか?
A.2018年に怪我をしてチームを離脱することになってしまった時です。東京2020パラリンピックを目前とした2019年の最初から日本代表チームに関われないことに危機感を覚えました。シュートを武器としていたのに利き手である右手を骨折してしまい、もう絶望しかなかったですね。

Q.その時はどうやって乗り越えたんですか?
A.自分のやりたいようにと家族が見守ってくれたこと、それから、フィジカルコーチがポジティブな気持ちと絶対治すんだという強い姿勢でトレーニングをしてくれたことです。おかげで、焦らずに治すことができて本当に感謝しています。

Q.試合前のルーティンはありますか?
A.練習の時から車いすのベルトを同じ順番で同じ方向から締めるようにしています。リオパラリンピック前から日本代表に呼ばれるようになったのですが、当時はいつも緊張して、何か一つでもルーティンを忘れると不安になってしまったり、ベルトの締め方が緩いことがあって。

Q.リオパラリンピックの思い出を聞かせてください。
A.負けて悔しかったですね、惨敗でしたから良い思い出ではないです。プレータイムの無さ、出ても結果を残せなかったことは悔しかったですね。パラリンピックに出るという目標は達成しましたが、悔いが残って東京2020パラリンピックを目指そうと思いました。

Q.東京2020パラリンピックへの思い、意気込みをお聞かせください。
A.若い選手たちが活躍し始め、正直、東京大会出場は厳しい状況にあります。ただ、このままでいいとは思っていません。悔いが残らないように成長し続け、過去最高の自分でいたいと思っています!

子ども・市民に向けて

Q.子どもたちが夢を叶えるためには。
A.色々な事に興味を示して、経験して欲しいです。その経験しているときに自分が楽しめているか、自分を好きになっているかを感じ、自分を知ることを大切にしてください。

Q.最後に、さいたま市民の皆さんにメッセージを。
A.僕が小学生の時に地元長野でオリンピックがあって、いまだにあのお祭り感を覚えています。さいたま市は車いすバスケットボールも強く、スポーツのまちというイメージがあります。そんなスポーツを強みとするさいたま市の皆さんにこそ、オリンピック・パラリンピックにも興味を持って、チケットを持っていなくてもぜひ会場周辺に足を運んで大いに楽しんで欲しいです。インターネットや画面を通しては経験のできない祝祭感を、特に子どもたちに味わって欲しい。そして、市にゆかりのある選手にも興味を持って応援してください!!

藤澤潔選手
お子さんの話の際は特ににこやかにお話していただきました

※藤澤潔選手へのインタビューは、令和2年1月下旬に行いました。

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