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更新日付:2024年2月22日 / ページ番号:C113167
平成17年10月8日(土曜日)から平成17年11月27日(日曜日) さいたま市立博物館・浦和博物館共催
武蔵国の中心である埼玉県は、多くの武蔵武士の活躍が伝えられています。平安時代後期には成立したと考えられる武蔵七党と呼ばれる武士団は中世の武家社会の形成に大きな役割を果たしました。南北朝、室町時代には関東の地は室町幕府の地方機関である鎌倉府の管轄に属していましたが、中央における応仁の乱以降、戦国の世に突入すると、この地においても、戦乱が繰り返し起こります。
市立博物館にほど近い寿能町にあった寿能城は、岩槻城の太田資正が、小田原の後北条氏に対置するものとして永禄年間に築いたといわれています。この時期、さいたま市域には他にも多くの城や館が築かれました。今回の展示では、それらの城、館の遺構、遺物などから、戦国時代のこの地の歴史と文化を探りました。
1章の内容については市立博物館、2章の内容については浦和博物館、3章の内容については両館で分担して展示を行いました。
右写真:太田資正感状(永禄4年(1561))
道祖土家文書 個人蔵 埼玉県立文書館寄託
太田資正が配下の道祖土図書助の戦功を賞して与えた文書。
左写真:小田原評定衆裁許状(天正2年(1574))氷川神社蔵
寿能城の潮田氏と氷川神社が木の伐採を巡って争った際に小田原北条氏から出された判決書。
上写真:騎西城の発掘調査で確認された障子堀(騎西町教育委員会提供)
大きさ A4 52ページ
※図録の頒布は終了しました。
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