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更新日付:2023年7月23日 / ページ番号:C078044

岩槻郷土資料館展示web解説(その10)

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岩槻郷土資料館展示解説(岩槻古城八景屏風)

岩槻古城八景屏風

「岩槻古城八景」は、明治18年(1885)に旧岩槻藩士らによって描かれたものです。
明治になると、岩槻城は廃城となり、櫓(やぐら)などの城内の施設は取り壊されました。これを惜しんだ旧岩槻藩の家臣らが、かつての城の姿を再現し、描き記したものです。絵の題材は、中国の「瀟湘(しょうしょう)八景」をもとにして描かれた「近江八景」に倣って、「船入口帰帆」、「鵜首夕照」、「城口晩鐘」、「車橋晴嵐」、「米蔵跡落雁」、「樹木曲輪夜雨」、「茶屋台暮雪」 、「高台秋月」の八つの景勝地を描いています。
この「岩槻古城八景」の絵は複数の組が作られ、数点が現存しているようです。岩槻郷土資料館にも、三組の「岩槻古城八景」が寄贈されています。このうちの二組は、八枚の絵が二つの屏風に貼られた状態で残っていますが、もう一組は六枚が残るのみです。これら複数の「岩槻古城八景」を見ていくと、構図はほとんど変わらないものの、少しずつ絵のタッチに違いがあり興味深いものがあります。 なお、岩槻郷土資料館では、絵を複製パネルにして展示しており、原本は通常は非公開です。

落款部分拡大写真また、「岩槻古城八景」とともに、岩槻城の姿を詠んだ和歌と、これらが製作された経緯を記した「岩槻古城八景歌集」(写本)が岩槻郷土資料館 に所蔵されています。「岩槻古城八景」の絵を描いた人物は、「岩槻古城八景歌集」によれば「駑楽」ということになっていますが、八景の絵にある落款は「北淵」と読めます(左写真)。この「北淵」が絵の作者と思われますが、「駑楽」との関係は不明で、今後検討していく課題といえます。

岩槻古城八景

船入口帰帆 鵜首夕照

船入口帰帆(ふないりぐちのきはん)…地図1
本丸北側には船入口がありました。
別名「浮城」の名をうかがわせる風景です。 

鵜首夕照(うのくびのせきしょう)…地図2
三の丸の大手門前には三日月堀がありました。
画面左右には櫓が描かれています。

城口晩鍾 車橋晴嵐

城口晩鐘(しろぐちのばんしょう)…地図3

中央左側に時の鐘が描かれています。

上方には三の丸の大手門が見えています。

車橋晴嵐(くるまばしのせいらん)…地図4
三の丸と二の丸の間に架かる車橋が描かれています。
右上が二の丸で、橋の奥には車橋門があります。

米蔵跡落雁 樹木曲輪夜雨

米蔵跡落雁(こめぐらあとのらくがん)…地図5

三の丸北側にあった城米蔵曲輪が描かれています。

上方には久伊豆神社の鳥居が見えます。

樹木曲輪夜雨(じゅもくくるわのやう)…地図6
本丸と三の丸の間にあった樹木曲輪の様子です。

茶屋台暮雪 高台秋月

茶屋台暮雪(ちゃやだいのぼせつ)…地図7
本丸の北東にあった茶屋曲輪の風景です。
左下の橋は二の丸に向かう極楽橋です。

高台秋月(たかだいのしゅうげつ)…地図8
諏訪神社のある高台から、藩主の居宅があった
三の丸方面を望んだ風景と言われています。

岩槻古城八景の位置
岩槻古城八景 位置模式図(縮尺の正しい地図ではありません)

郷土資料館展示のようす
岩槻郷土資料館での展示のようす

市内各地の「八景」についてより詳しく知りたい方は、企画展「さいたま八景」もご覧ください。
岩槻城についてより詳しく知りたい方は、文化財保護課の「岩槻城跡を探る」もご覧ください。


その9 地蔵図像板碑

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